2017年3月14日

農業試験場を訪ねる(ブータン / 3)

早朝、ホテルの周辺を散策していた時、子供を抱いた女性に会った。すれ違いざまに「クズサンポー」と話しかけたら、「クズサンポー」と返ってきた。「こんにちは」の意味だ。僕が知っている唯一のブータン語である。


「日本からですか」と彼女から日本語で話しかけられ、そうですよと答えたところ、「私のオフィスには日本の人がいます」と。彼女はこれからそのオフィスに出勤する途中らしい。子供を抱いて出勤しているのは、急にベビーシッターが来られなくなったからだそうだ。

その日本人は、ブータンに来てもう30年以上にわたり農業指導をしている方だと言う。アグリカルチャー・リサーチセンターで働いていると聞いた。今朝はカムスムユーレイ・ナムゲル・チョルテンという仏塔を午前中に訪ねる予定だったが、予定を変更した。

彼女から教えてもらった電話番号に連絡するとその富安さんが出た。ただ彼は近くの村に農業指導に行く予定で、いまはそこへ向かっていて運転中だと言う。でも事務所にはもう1人の日本人がいると話してくれた。その人は協力隊の調査員を経て、その後ブータンで農業指導の仕事をしている佐々木さん。

朝食後、話を聞きにアグリカルチャー・リサーチセンターの佐々木さんを訪ねた。正式にはアグリカルチャー・リサーチ・アンド・デベロップメント・センターというらしい。

事務所で佐々木さんからブータンのこと、特に山岳地帯での農業のことなど話をうかがったあと、「フィールドを見てみますか」と言われ外に出た。ここでは主として園芸作物を試験的に栽培している。かつて稲作は、日本から農業指導の目的でブータンに来た西岡京治さんが長年努力をされて、この国の状況を大きく改善した歴史がある。

かなりの広さの土地に、数々の果樹が植えられていた。弘前大学の学生が持って来たというリンゴの木が4本植えられていた。
 
何も娯楽がない(ように見える)ブータンのいなかの村に、現地のために働いている日本の人たちがいるのを知り、すこし背筋が伸びたような気がした。