2015年6月27日

ガムと講義

ガムを噛むことには、多くの効用がある。歯の清浄や虫歯の予防だけでなく、顎を動かす事で脳の活性化にも効果があることが認められている。だが、それは時と場所次第だ。

昨日は、勤務先の大学の修士1年生全員に向けての講義を行った。一度きりの特別講座である。

どんな研究に取り組んでいるかを彼らに説明するのが目的である。通常の授業の場合、とにかく学生が分かるように話す、と云うことを心がけてるつもりだ。だが、今回だけは、さほどそれを気にすることなく話をさせてもらった。

ほとんどの学生は(理解しているかどうかは別として)真面目に聞いてくれている。しかし、なかに何名かガムを噛みながらこちらの話を聞いている学生がいた。

たかがガムだが、僕は気になってしょうがない。どのような状況であっても、人の話をガムをクチャクチャしながら聞くのは不作法なことだと思う。これまで企業経営者や名をなしたマネジャーの方たちに何度も話をしたが、当然ながらガムを噛んでいた人は皆無だ。そうしたことは、常識の範囲だ。

次代のリーダーを養成するビジネススクールで学ぶ学生が、授業中に平気でガムを噛んでいるというはどうも・・・。そこで、研究の話を中断し、ガムを噛むのを止めるように学生に告げた。目があった学生は、決まり悪そうに下を向いてガムをはき出した。

ところが、そのすぐ後、平気でガムをまだ噛んでいる別の学生を見つけた。すぐに止めるように注意したが、力が抜ける感じがした。

教壇は30センチほどの高さにすぎないが、そこから教室内をながめると全員が何をしているのか、どんな顔をしてこちらの話を聞いているのか、一目瞭然にわかる。ガムを噛んでいた学生は、それが分かっていないのだ。これだけ人数がいるのだから、分かりはしないはしないだろうと。想像力の欠如だ。

もう一つ驚いたことがある。そこにいた学生の7割ほどは、今期僕の授業を履修した連中で、その彼らのなかでガムを噛んでいた学生はいなかった。授業のオリエンテーションの時に「ガムはだめだよ」と伝えていたから。

しかし、他の教員はそうした注意を学生にこれまでしていなかったらしい。自分が講義をしているとき、学生がガムを噛んでいても何も言わなかったわけだ。それもまた驚きだ。
 

なぜ人は、他人の意見を聞かないのか

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『他人の意見を聞かない人』(角川新書)の著者で精神科医の片田珠美さん。


人は誰でも「他人の意見を聞かない人」の可能性がある。自尊心があれば、程度の違いがあれどそうした傾向になるし、それを完全に排除すれば鬱などになってしまう。ただし、自分がそうした状態にあることが分かっていない人は、要注意らしい。

さらに「困った人」は、確信犯的に他人の意見を聞かない人たち。片田さんの分析では、そうした人たちは人の意見をシャットアウトすることで自己防衛を図っていて、近年はますます増え続けている。

片田さんによれば、「過去と他人を変えることはできない」。

では、我々はどう対応したらよいのか。方法は、ふたつ。まず相手がなぜ人の意見を聞こうとしないか、その理由を分析すること。
 
その場合、考えられる理由は、通常3つあるとか。まず、そのことで自分が「メリット(利得)」を得ようとするため。あるいは、自分の悪とか間違いの事実を「否認」するため。さらには、他人を無視することで「プライド」を得るため。これらのどれか、あるいはどの組み合わせなのか分析し理解することで、こちらの心の持ちようを保つことができるようになる。

彼女が勧めるもう一つの対応方法は、「プチ役人」になること。少し意地悪目線で相手をながめること。けれど、時にはきちんと言い返すことが肝心。ただじっと我慢だけしていたらダメだと。こちらが壊れてしまうから。

精神科医として現場で日々臨床を重ねるなかで、「他人の意見を聞かない人」のせいで精神を壊されている方々に多く接してこられたのだろう。また、彼女自身、個人的にも「他人の意見を聞かない人」に悩まされてきたのかもしれない。

こうした人格の蔓延というのは、番組の中でも申し上げたが現代の社会病理のひとつだと思う。せめて、自分がそうはならないよう気を付けなければ。

 
今朝の一曲は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの "Private Eyes"。



2015年6月20日

自治体の運営は、経営なのである

今朝の「木村達也 ビジネスの森」も先週に引き続き、夕張市長の鈴木直道さんをゲストにお迎えしました。


鈴木さんは、市長の仕事は「人気のない仕事を繰り返すこと」だと言う。

逼迫した財政のものとでサービスの縮小を進めることのなんと難しいことか。過疎が進む町を効率的に運営するために考案したコンパクトシティの実現のためには、市街地周辺の方には引っ越ししてもらわなければならない。
 
結果、多くの市民が反発し、不満を抱くことになる。 それを解決するためには、問題を他人ごとではなく、自分ごと化する必要がある。置かれている状況を、全体的に捉えてもらうことしか納得してもらえる筋道はないのである。これは、実際は実に骨が折れる。

鈴木さんは、理想とする政治家像とは、自分の話で市民が「(ある施策が)自分や家族にとっては不利益なことで困る、でもそれは町にとってはプラスになること」と考えてくれるようになることだという。

そうした多少なりとも成熟した民意が育たないところでは、先日も例があったが、無料で提供されている高齢者へのバスサービスが今後は有料になるからといった理由から本来なすべき大きな改革が否定されてしまうことになる。

彼は市長として、5人以上申込があれば、どこにでも出かけて話し合いの場を持つことを約束している。たいていの場合は、吊し上げに会う。だが、彼はそうした場での緊張感を貴重なものと理解している。「政治は恐怖が付きまとう」と。市長のひとつの決断によって、多くの人が傷つく可能性がある。だから、4時間もの集会にも吊し上げられるだろうことを納得で出かける。

まずは相手の話を1時間でも2時間でも聞く(これだけでも大変だ)。そうすれば、何が相手の関心の中心なのかが分かるから。やがて、相手は話し疲れる。そうした時間をかけた話し合いの中で、相手もこちらの考えや想いを理解していってくれるというのが、鈴木さんがこれまでの住民とのやり取りの中で身をもって獲得したこと。

行政のトップとして、彼は「自治体の運営は、経営」という明解な考えを持っている。だからこそ、リスクに備えることと目標としての希望を市民に掲げることを大切している。だが、自治体運営が経営であるという当たり前ことすら分かっていない首長が日本にはいかに多いか。

日本全国、これから人口が減少するのは明白な事実であるにもかかわらず、首長が人口減少社会の中での持続可能性などを話すとたちまち次の選挙で落ちる。縮小均衡といった考えをまだ有権者は受け入れられないのかもしれない。そうしてみると、日本人もデフォルトの可能性を抱えたギリシャ国民と変わりはない。
 
彼が番組の最後で語った「(そうした状況へ)住民が関心を持つかどうかは勝手だが、無関係ではいられない」という言葉が重くのしかかってくる感じがした。
 
今朝の番組の一曲は、テイラー・スウィフトの Shake It Off をお送りしました。


2015年6月13日

がんばれ、夕張再生市長

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『夕張再生市長』(講談社)を出版された北海道夕張市の鈴木直道市長。


夕張市は、今から9年前の2006年に353億円もの負債を抱えて財政破綻をした。その町はかつて炭鉱で栄え、人口は12万人近くがいた。今はそれが1万人を割り、しかも高齢化比率が日本で最も高い場所になっている。

石炭から石油への流れ。さらに海外からの安い石炭との競争に敗れ、夕張はゆっくり、だが確実に廃れていった。かつて24年間の長きにわたる長期政権を握っていた市長のもとで市制は硬直化し、しかも第三セクター方式による不透明で杜撰な開発と投資が続いた。

そこへ東京都からの派遣職員として赴いたのが、鈴木さんが26歳の時。2年間の勤務を終えた彼に、夕張市の市民たちは今後の市の将来を託したのである。

土地とはまったく関係のない青年に町の再生を託した市民もギリギリの決断をしたに違いないが、それを受けとめ、東京都の職員を辞して夕張市長の選挙に立った彼の決意もヒリヒリするようなチャレンジだったに違いない。

2011年4月、当時30歳で、全国最年少として市長に就任した。その時の市長選の投票率は、83パーセントだった。

スタジオでお会いした鈴木さんは、涼しげな紅顔の美青年である。いつもそうらしいが、今回も1人での夕張からの上京だ。

乞われて市長になったとはいえ、市民が大きな痛みをともなう政策を実施に移すのは、大変なこと。何度も市民への説明の場でつるし上げのような場を経験したと聞いた。始終落ち着いた受け答えは、そうした決して容易ではない経験の積み重ねから身につけたのだろうか。


今朝の一曲は、先月亡くなったB. B. キングさんの「上を向いて歩こう」。彼の2011年のアルバム、"Dear Japan" から。彼の東日本大震災後の復興への願いが込められている。



2015年6月5日

今回も引き続き、聴取率第1位

昨年からやっているFMラジオ番組「木村達也 ビジネスの森」のプロデューサーから連絡があり、最新の聴取率調査でまたもや番組が首都圏のラジオ放送においてM1F1層(20歳から34歳の男女)の聴取率調査でトップだったと知らされた。

聴取率調査が行われたエリア

2位は僅差でTOKYO FMだった。

現在、日本国内で番組視聴率、聴取率調査を行っているのはビデオリサーチ1社だけである。以前は、ニールセンとビデオリサーチの2社が行っていた。Wikipediaには以下のような記述はあるが、詳しい経緯は記されていない。
日本における聴取率は、かつてニールセンとビデオリサーチの2社が測定していたが、2000年にニールセンが個人視聴率導入に関する民法との対立で、日本における聴取率調査から撤退。現在は、ビデオリサーチの測定した結果のみが用いられている。
調査について学んだことがある人ならば、視聴率調査の限界、というかサンプル調査につきものの標準誤差について知っていることだろう。つまり、僅かなポイントの差など、実際は調査上の誤差範囲なのだ。

しかし、それがアタマで分かっていても、自分が関係している番組となると僅かな差でも気になってしまう。

2015年6月4日

マーケティングの最終授業、その後、打ち上げ

今期のマーケティングの授業が終わった。毎週、午後7時から午後10時過ぎまでの長丁場だった。

これは僕のタイムマネジメントの拙さ以外の何ものでもないのだが、たいてい授業は午後10時半位まで続く。学生はやっとこさ、そこで開放されるわけだ。

僕はといえば、授業後は教壇で学生たちの個別の質問に答えつつ、書き殴った何面ものホワイトボードをきれいにし、教卓の上のメモなどを片付け、また学生たちと雑談なんかをしているとあっという間に11時近くになる。

その後、研究室で少し授業後の片付け(記録づけ)などしてから、大学を出るというのがいつもの水曜日のペースだった。

ただ昨日だけは8時半に授業を終了し、その後は学生たちが待っている近くの居酒屋で打ち上げだ。30名ほど、授業履修者の半分以上が集まっていた。

普段、つまりこれまで授業中あまり発言しなかった学生が、今日ばかりはとビール片手に実に面白い話を聞かせてくれたり、意外な側面を知る機会にもなる。