2015年3月30日

京都のさくら

駆け足で京都の桜を見に行ってきた。散策したのは、京都市内の中心部から南西にある大原野と呼ばれている地域。

花の寺として知られる勝持寺から正法寺、大原野神社などを回ったが、どこもまだ桜は蕾のまま。やはり東京とは一週間ほどは遅いようす。

そうしたなかで西迎寺のしだれ桜だけは見事な姿を見せていた。他に訪問客もいない小さな小さな寺だったけど、地元の人が教えてくれただけあって、本当の穴場だった。



2015年3月22日

人の働き方とリーダーシップ

昨日の番組「木村達也 ビジネスの森」は、前伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんにゲストに来ていただいた。対談のもとになったのは、丹羽さんが書いた『負けてたまるか! リーダーのための仕事論』(朝日新書)。


彼は伊藤忠商事では、社長に就任すると当時およそ4000億円あった不良債権を一括処理することで翌年度の決算で史上最高益を計上したことで知られている経営者である。実に、思い切りがよいのである。こうしたことは、できる、できないということより、やるか、やらないかという問題だから。

番組での発言も非常に歯切れがいい。明快だ。


日本の企業内で働く人の4割近くが、非正規社員と呼ばれる雇用形態で仕事をしている。丹羽さんは、そのことを危惧している。企業の社内での教育というテーマから、正規と非正規という雇用のことに話が移っていった。

番組内で話された際のその理由としては、企業としてはいつ辞めるかわからない社員に時間を金をかけて教育はできない、そのために社員の能力を高める機会を逸して長期的にその企業は競争力を失っていくという点をあげられた。

だから経営者は、安易なコスト削減の一法としての社員の非正規化は止めるべきだと指摘する。

たまたま今朝の日経新聞「日曜に考える」欄で、丹羽さんと政策研究大学院の太田弘子氏が、同様のテーマで対談をしている。そこで丹羽さんは、雇用と報酬の安定を考えて、経営者は非正規社員の9割くらいを正規社員化すべきだと述べている。

一方、太田氏は非正規を問題とは捉えていない。彼女によれば「非正規そのものが問題ではない。正規との格差があまりにも大きくて、いったん非正規になると正規になる道がなくなってしまうのが問題だ」となる。

これは一見まともな解釈に聞こえるが、明らかに現状を無視している。僕には先の彼女の発言は「貧困そのものが問題ではない。金持ちとの格差があまりにも大きくて、いったん貧困になると金持ちになる道がなくなってしまうのが問題だ」と読めてしまう。どうも新自由主義的立場からは、非正規社員が正規社員になれないのも、貧困者が富裕層になれないのも「自己責任だから」となる。

 丹羽さんの「なんで非正規にするのか。給料が安いからか」という発言に、太田氏は「そうではない。短時間だけ働きたいという人がいるからだ。派遣を望む人もいる」と返している。これも理屈がおかしい。

子育てや介護、その他種々の理由で短時間だけ働きたいという人はいる。あえて派遣が自分に相応しいという人もいる。しかし、そのことと非正規社員か正規社員かという問題は、別の問題だ。

彼女は短時間だけ働きたい人たち、派遣で働きたい人たち=非正規を望んでる、と考えているようだけど、そうではないと思う。そうした人たちだって、多くは正社員を望んでいるはずだ。短時間だけ働く正社員だってあり得るし、派遣元に正社員として雇用され、派遣先で働くという働き方だってあり得るのである。そもそも「正規社員」の理解の仕方が一面的なのだ。

いずれにせよ、脱時間給制度とか残業ゼロ法案とか、そうしたことは働く個人と企業との間で決定されることであって、政府が規制をすることではないように思えてならない。こんなことまで手取足取りやられなければならないほど、日本の経営者も働く人たちも愚かではないはずだが。

今朝の一曲は、ブルース・スプリングスティーンの Born in the USA から"No Surrender"。


2015年3月14日

ホームレスをファーマーに

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 朝8時15分から)も先週に引き続き『ホームレス農園』の著者、小島希世子さんに来ていただいた。彼女の活動の一つが、2008年頃から「ホームレスをファーマーに」を合い言葉に開始した家庭菜園塾だ。


彼女は当初、ひょんなことからホームレスやニート、生活支援受給者といったこの管理社会のレールから外れてしまった人たちと人手不足の農家をつなぐことになり、そうして土の上で繰り広げられる静かなドラマを見ることになった。

それは、作物を育てることで生きるエネルギーを取り戻していく人たちの姿。一粒の種から芽が出て、幹が育ち、やがて実を実らせることを自分の手で体験することで「人は自分の中に変化を感じるようになる」らしい。もう一度がんばろうという意欲が生まれてくるのだ。

彼女が藤沢でやっている農園を訪ねたことがある。藤沢は彼女が大学時代を過ごした場所。そうしたこともあり、協力してくれる農家さんと知り合うことができ畑を借りているらしい。決して大きな農園ではないが、そこでは何人もの人たちがたくさんの種類の作物の育成に取り組んでいる。

彼女の活動は草の根的である。運営母体は株式会社組織にしてはあるが、失礼ながら個人商店の域をでない感じだ。規模感は、ない。それでも、今の彼女は規模の拡大を睨まず、自分がやるべきとをコツコツと続けている。

一つの大きな農園運営組織にするのが目標ではなく、自分の活動に共感してくれた人たちが増え、いろんなところに同様の「農園」がポツポツと出てきてくれることが願いらしい。それが、やがては日本全体を変えることにつながるという発想は、実にその通りだと思う。

彼女と話していると、それが決して「ユートピア的」と笑うようなものではない気がするから不思議だ。うまく言えないんだけど、小島さんはなんていうか、不思議な雰囲気を全体から発している方だった。

今朝の一曲は、フォリナーで Waiting for a Girl Like You。


2015年3月8日

大学8年生では、まだもの足りないのか

先週の半ば、「大学、在籍年数を延長 再生実行会議が提言へ 8年超も可能に」の見出しの新聞記事を読んだ。政府の私的諮問機関である教育再生実行会議が、大学の在籍期間の上限延長を提言に入れることを決めたという報道である。

背景および理由として示されているのは、日本では下図のように入学者に占める25才以上の割合が他国比べて低い状況にあり、社会人や子育て中の女性を大学に取り組むことでこの数値を上げられるとの意図がある。そして、そのためには8年間では「仕事や子育てとの両立を想定すると短い」というのが先の実行会議の委員の意見らしい。

日経3月3日朝刊より

大学に通う社会人や子育て中の女性から、在籍可能期間の上限が8年間では短すぎるという不満が多くでているのか。今どき日本の大学生で、在籍が上限の8年を超えたために除籍処分になるケースなど、僕はほとんど聞いたことがない。

4年生大学の在籍可能期間が現在の8年間からさらに延長できたとして、それを理由に新たに大学の門をくぐろうと考える社会人や女性がどれくらいいるのだろう??

教育実行会議の委員たちが考えたのは、「日本では他国に比べて25歳以上の入学者が少ない」→「どうしたら数値を上げられるか」→「社会人や女性を大学に取り込めばいい」→「仕事や子育て中で大変だろうから、卒業までの時間的余裕を与えてやればどうだ」→「全国的に(政策的に)在籍期間を延ばせば実現可能」という思考プロセスなのだろうけど、だとしたらスタート地点から間違っている。

そもそも8年間の上限というのは、大学が内部の規定で決めていること。各大学が在学生の状況からそれが短すぎると判断したら、自分たちで改めればそれで済むことである。

2015年3月7日

「農」はこれからのキーワードである

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『ホームレス農園』(河出書房新社)の著者・小島希世子さん。


彼女は、神奈川県の藤沢と自分の出身地である熊本をベースに、「農」に関する取り組みをしている。その根本は、かなりシンプルだ。彼女曰く、「おいしい野菜をみんなに食べてもらうこと」「自分の手で野菜を作ること」そして「野菜作りを通じてさまざまな学びを得ること」である。

そのため農薬も化学肥料も使わない野菜やお米を熊本の提携農家で生産してもらい、ネットを通じて販売している。 また、彼女たちは体験農園を運営し、野菜作りの技術に関して講習を定期的に行いながら収穫までサポートする。

さらに興味深いのは、ホームレスの支援団体と協力し、仕事をもとめている人たちと農地はあるが人手がなくて放棄地になっている畑をつなぐことも行っている。正しくは、その対象にはホームレスに限らず、生活支援受給者やニートといった生活困窮者が含まれている。

彼女は同書の中で、「こだわって作るほど儲からない、農家の現実」を書いている。お米などの農作物は、いくらこだわって手間暇かけて作っても消費者へ届ける前の流通段階(農協や卸、各種の小売店)で「キロいくら」で計算される。そのため、収入を得るためにはとにかく大量生産しようとするインセンティブが働き、どうしても肥料や農薬をたくさん田畑にまくことになる。結果、味や安全性を犠牲にしてしまう。

頑張っていいものを作っても、不特定多数の生産者の作物と一緒にされて流通に流されるために、その努力が正当に評価されない。最終消費者から「おいしかった」の一言も聞くことがない。作ってる野菜などが穫れすぎた場合、出荷せずに廃棄処分することで生産調整しなければ儲けがマイナスになってしまう。つくづく農業は大変な仕事だと思う。

しかし、流れは少しずつだけど変わってきているように思う。消費者だって、ただ安ければ歓迎というお客ばかりではない。農薬や肥料を使用せず、種も遺伝子操作されていない「自然な」農作物を味わいたいと考える人たちが確実に増えて来ている。それに応えるための仕組みは、まだまだ部分的だけど。


スタジオで話をしていて思ったのは、彼女は本当に畑が好きだということ。例えば、どんないやな事があっても、畑に出て仕事をしているとすっきりと忘れてしまうとか。それは、土や作物は裏切らないということを知っているから。手をかければかけるほど、それだけ土は返してくれる。だから、社会の通常ルートから外れてしまった人たちのための就農支援プログラムを考え、彼らを会社や施設ではなく田んぼや畑に連れてきたのは正解である。

今朝の一曲は、カーペンターズ「遠い思い出」。原題は、Those Good Old Dreams。彼らが1981年にリリースしたアルバム、Made in America に収められている。



2015年3月5日

ニッポンのBGMは尺八か

マイクロソフトの共同創業者で現在はフィランソロピスト(日本語では慈善家か)のポール・アレンが、ツイッターに海中の戦艦武蔵の写真を投稿し、そのニュースはたちまち世界をかけた。

戦艦武蔵は、1944年10月にフィリピンのレイテ島攻撃に向かう途中で攻撃に遭い撃沈した。

武蔵に盛り込まれた技術の高さに惹かれたポール・アレンとそのチームが、沈没した戦艦武蔵を発見するまでになんと8年間をかけて調査をしたというから驚きである。

彼の個人資産は、ファーブス誌によると175億ドル。日本円で2兆1000億円。こうしたプロジェクトは、日本では国家的な取り組みになる。しかし米国では、とてつもない金持ちが個人の金で取り組む。かの国の超超スーパーリッチの存在の是非ついては、もちろん議論もあるが、ただし米国の活力の源が彼らによって支えられていることは確かである。

翻って、日本の金持ちはどうだろう。

ところで、こうした日本の「昔」に関係するニュースの映像でバックに流れるのは、たいてい尺八である。これ、なんとかならないのだろうか。
http://edition.cnn.com/2015/03/03/intl_world/paul-allen-japanese-battleship-musashi/ 

そういえば、映画「ラストサムライ」でも日本の田舎のシーンが登場する際、そこでかぶされていた音楽はやはり尺八だった。

クラシックやジャズ、ロックではおかしい気がするし、かといって民謡というのもちょっと。となると、やっぱり尺八や篠笛になってしまうのだろうか。