2012年10月31日

ビルの明かりが消えた街

ハリケーン・サンディが過ぎ去った後の街は、妙に静かで、それでも朝から少しずつ人々が街に出始めたようだ。

日曜日の夕方から全面運行停止になったニューヨークの地下鉄は、今もまったく動いていない。路線の確認作業やシステムの復旧に時間がかかっているのだろうが、日本と比べると随分のんびりした感じを受ける。東京ですべての地下鉄が全線区で何日にもわたって運行中止したなど聞いたことはない。

閉鎖されたままの地下鉄

アパートの屋上からマンハッタンのダウンタウンを眺めた。いつもなら明かりが灯っている高層ビル群に今日は色がない。街が沈んでいる。

真ん中に写っている尖塔がエンパイアステート・ビル

2012年10月30日

コロンブスもハリケーンでお休み

59丁目のコロンバスサークルで行われているDiscovering Columbus の今日のチケットを入手していたが、ハリケーンでイベントは中止に。また、チケットの取り直しである。

http://www.publicartfund.org/view/exhibitions/5495_discovering_columbus

写真は、nytimes.comのサイトから

会社も学校も臨時休業

ハリケーンが近づいているなか、知り合いとお昼を食べに出た。

最初のぞいたダイナーは客が入口まで並んでいて入れなかった。夫婦や家族連れの客が多い。月曜日だがハリケーンで地下鉄やバスが止まり、勤め先も学校も休みになったからだろう。彼らはちょっとしたピクニック気分を感じている風に見えた。

写真は、別の店に行く途中に見かけたコンビニの店先に積まれたミネラルウォーター。ずいぶん大量に仕入れたものである。


2012年10月29日

若松孝二監督、76歳で逝く

17日に亡くなった若松監督の追悼記事が28日付けのニューヨーク・タイムズに掲載された。


Sandy is coming

大型のハリケーン、サンディが米国の東海岸を直撃する予定だ。報道ではSuper Stormと表現されているほどの超大型で、ゆっくりとした速度のハリケーンだ。強風と高波の被害が予想されている。

今回のこのハリケーン、最初に知ったのは金曜日の午後のこと。ブルックリンの知り合いのスタジオからの帰りに地下鉄に入った時だ。すでに、日曜の夕方からニューヨークの地下鉄が運行中止になるという貼り紙がしてあった。

まだNYではその気配もなかった時から、そうした準備が進んでいたわけである。2005年に米国内に大きな被害をもたらしたハリケーン・カトリーナからの教訓があるのだろう。沿岸エリアを中心に高波の影響を受けそうな地域の人々には避難命令が出されている。

今日の午後7時には地下鉄、バス、鉄道などの交通が順次運行を止めた。もちろんフライトはすべてキャンセルされた。明日は学校は休校、病院は急患を除いて患者を受け入れないとしている。人の流れが急減し、街は静かなものだ。マンハッタン内にあるコロンビア大学、ニューヨーク大学は早くからすべての授業を休講するとの知らせを出した。

今日、停電に備えてロウソクを近くの雑貨屋に買いに行った。普段は閑散としている店内で今日は下の写真のように長い列ができていた。


ロウソクの入った袋をぶら下げたまま、近くの食品スーパーを覗きに行ったら、そこも普段とはまったく違う様相だった。通路を通ることすら難しいほどの混雑だった。僕もせっかくなので牛乳と果物を少し買って列に並んだが、レジを通るまで30分以上かかった。

クイーンズに住む友人からの今朝の電話では、その地区のスーパーマーケットでは水、パン、牛乳、オレンジジュースの棚が空っぽになっていたと聞いたのだが、マンハッタンはそうでもないみたいだ。それらのどの商品もまだ棚に、十分とはいえないまでも残っている。徒歩での生活圏に多数の店舗があるマンハッタン地区と、そうではないクイーンズ地区の違いだろう。

2012年10月27日

MUJI のデザイン

MUJI は、世界中でデザインに敏感な人たちによく知られた「ブランド」である。

今日、ミッドタウンにあるジャパン・ソサエティで、無印良品を運営する(株)良品計画の金井社長の講演会があった。

飄々とした人で、人を食ってるわけではないのだろうが、「自分は正直で、ピュアな人間だ」と述べ、司会者の米国人からピュアの意味を質問されると「ピュアは、ピュアだよ〜」と返したのは傑作だった。聴衆のなかの日本人には受けたが、米国人にはどう受け取られたかは分からない。

無印良品が、「これがいい(This is what I want)」ではなく、「これでいい(This will do)」という一つの思想性を製品づくりの骨子にしたところはまことに秀逸で、西洋流の発想からは出てこないところが外国の人たちに逆に新鮮なのだろう。

金井社長の口からは、「アンチテーゼ」(Antithesis:反対命題)という、なんだか懐かしい言葉も聞かれた。現代の消費文化への対抗概念ということなのだろう。その一つとして No name という考え方をあげた。野球のボールにはデザイナー名が付いていない、包丁も誰がデザインしたのか分からない。そうした商品(もの)とデザインの在り方のことである。

確かにそうしたものは僕たちの周りに今もたくさんあり、それらから僕たちは大きな恩恵を得ている。そうした商品はもちろんあってもいい。だけど、デザインには署名性が必要なときもある。そのことで優れたデザインが生まれることがあるから。また、優れたデザインについては、その開発者の名を残すことは大切ではないだろうか。聴診器や注射器だって、それぞれ発明・開発者の名前が歴史に残っている。

ただし、開発者(デザイナー、アーティスト)の名前が刻まれているだけで、5ドルのものが2000ドルになるのは疑問だけど。
http://tatsukimura.blogspot.com/2012/10/2000.html

会場には、デザイン関係の会社の人たちが多くやって来ていた。


2012年10月26日

コンサルティング102

ビジネススクールで Consulting 102という授業に参加させてもらった。米国の大学ではすべての科目に3桁の番号が付けられていて、それで基本科目なのか応用(発展)科目なのか位置づけが分かるようになっている。101は最も初歩の科目だ。科目名そのものに102と付けたのは「基本の次だよ」というメッセージだが、しゃれっ気がある。

担当教員は、元ブーズアレン&ハミルトンのニューヨーク事務所でシニアVPをしていたコンサルタント。90分x2コマの連続授業で、前半は彼のレクチャー、後半はブーズアレンのCEOがゲストとして講義した。後半の内容は、ほとんど自社のPRのようなものだった。

その夜、コロンビア・ビジネススクールの学生と飲んでる時に聞いたのは、ビジネススクールの学生たちが好むのはビジネスの生の実態を紹介してくれる、(正規教授ではなく)外部の経営者やコンサルタントが客員の立場で教えているものだということ。実務を離れてフルタイムの学生をやっている彼らは、理論よりも現場の話の方に引かれるのだろう。

ただ気を付けねばならないのは、現場の事はその現場にいなければ本当の事は分からないということ。教室の中で、もう終わってしまったこと(その大半は「珍しく」大成功した話)を、さらに話し手のフィルターを通して聞いても学習効果には限界がある。そこから多くを学ぶ学生も中にはいるが、たいていはテレビの番組かYouTubeで何か見たというくらいのものしか残らない。

実際、教室(レクチャーシアター)の最上段からクラスを眺めていると、学生がどうしているかよく分かるのだけど、ノートを取っている学生はごくごく少数である。ノートを取る必要がないと思っているのか、すべてを記憶する自信があるのか、面倒くさいのか、ただその習慣がないのか。いずれにせよ、日本の学生とはこの点は、ずいずん異なる(日本の教室でもノートをまったく取らない学生は結構いる)。

研究者である専任教授は必修科目で基本的な理論や考え方を教え、一方で選択科目では外部の実務家講師が学生と実際のコンサルティング・プロジェクトに取り組むような授業も多いと聞いた。教える方には、優秀な学生を見つけて自分の会社に誘いたいという意図がある。

現在、コロンビア・ビジネススクールの修了生の約7割は、投資銀行かコンサル会社に就職している。ニューヨークという場所の特徴もあるのだろうが、高い授業料を回収するために手っ取り早く稼げるこの2業種に人気があるというのもある。その結果(それとも原因?)、これらに関連する科目で外部講師が多いようだ。

2012年10月25日

Columbia University Green Market

グリーン・マーケットというと、毎週月・水・金・土曜日にユニオンスクエアで開かれる青空市場が有名だけど、ニューヨークの街を歩いているとそれ以外にもいろいろ出くわすことがある。

今日は大学のキャンパスを出たところで、Columbia University Green Market が開かれていた。

野菜や果物、各種のジュース、お菓子やケーキなどが並んでいて、その時ちょっとおなかがすいていたことも手伝い、アップルケーキとキャロットケーキを手に家に帰った。






2012年10月24日

5ドルと2000ドルの関係

今朝は少し時間があったので、近くのダイナーで朝食を取ることにした。注文したフレンチトーストが運ばれてくるまで、コーヒーをすすりながら新聞に目を通していたら、店の親父が「この近くに住んでいるのか?」と話しかけてきた。「そうだ」と答える。今度は「日本人か?」と尋ねてきた。また「そうだ」と答えながら、吹き出しそうになった。

実はこの店で、この親父とまったく同じやり取りをするのは、これで3回目なのだ。まあ仕方がない。毎日何十人、日によっては何百人もの客が食事をしに来る店だ。そして、店のオーナーらしき彼は、来客となるべく親しくしようとしているのが分かるから。

ところがこれまでと違うのは、今度はいきなり隣の席に座っていた客が話しかけてきたことだ。それまで携帯電話でずっと話をしていたのに、電話を切るやいなや「おれは日本に行ったことがある」としゃべり始めた。

ブルックリンで画廊を経営している人物で、なんでも京都に友人がいて、来週にまた訪ねる予定だそうだ。その際にお土産として持って行くつもりの絵があると言って彼が鞄から取り出したのは、B4サイズ程度の画用紙に鉛筆で書いた線画である。

思わぬ事にぽかーんとしてると、そのおっさん、「ウォーホルだ」と言う。値段は2000ドル。絵の値段は門外漢には分からないから、「へえ〜」とか言いながら相変わらずぽかーんとしてたら、絵の右下に記されたアンディ・ウォーホル(とおぼしき)サインを指さしながら、30年前に5ドルで買ったと教えてくれた。

その絵はどう見ても10秒か20秒で描いたイタズラ書きに近いものにしか見えなかった。5ドルで手に入れたその絵が、今は2000ドル。右下のサインがあればこそだ。

マーケティングの仕事には、そうした「サイン」をどうやって作るかと云う面もあるなあとやって来たフレンチトーストをほおばりながら考えていた。

彼にその絵の写真を撮らせてくれと頼んだが、断られた。

2012年10月23日

「税制のグリーン化」?

総務相の諮問機関である地方財政審議会が、経済産業省などが廃止を求める自動車取得税について廃止は不適当と主張する意見書を提出した。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121022/k10015923961000.html

自動車を購入する際にかかる自動車取得税には、元来から消費税との二重課税になっているという批判がある。

2011年度の日本国内のクルマの総販売台数は421万台で、対前年度比で15%減少している。同様に総登録車台数は、17%の減少である。自動車業界などが自動車取得税の廃止を求めているのは当然だろう。

地方財政審議会から提出された意見書は「課税の根拠が異なることから、消費税との『二重課税』という指摘は当たらず、税制のグリーン化にも逆行するものであり、新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」として廃止に反対しているのだが、それが本当の理由なのか。それとも、それが地方自治体の貴重な(ということは徴収しやすい)財源だからなのか。後者が本当の理由で、前者のねじ曲がった理屈は建前の理由に見える。そもそも地方財政審議会は広く税制について考える集団ではなく、「地方財政」についての審議会だ。

ところで、理由内でキーワード的に使われている「税制のグリーン化」という言葉に首をかしげてしまった。税を課すことでクルマの販売を抑止することができ、それが地球環境にプラスに働く・・・ということを指しているのだろうか。

クルマの走行距離を抑制するためにガソリン税を操作するのならわかるけど。車の販売を抑える政策(つまり車の生産を抑える政策)がグリーン化(地球環境保護)のために必要なら、国内海外問わず、また自動車と言わずすべての製造業の活動を抑制しなければ理屈に合わないが、日本は本当にそれでいいのか。

また「新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」という主張の論理的整合性が分からない。当初から財源確保ありきの発想自体が貧困というものだろう。

世の中は変わってきているのだから、税に対する考え方も変えて行かなければ。ただ取れるところから取るではお粗末だ。前例主義的で硬直化している。

前例主義と言えば、日本の大学も負けていない。僕はこの春から米国にいるのだけど、まったく学内の動きが分からないのは帰国後の仕事に差し支えると考え、最小限の情報を得ておくために会議資料をこちらに送ってくれるように以前頼んだことがある。

その当時の事務長が下した結論は、「これまで慣例的にそうしたことはしていないから、送らない」というものだった。前例に倣って決めればよいのであれば、管理職は必要ない。

そうした組織では過去のことを知っているかどうかが管理職に問われる能力になってしまい、本来の能力や熱意があっても、若い連中や外部から新しくやって来た人たちは仕事がしずらい雰囲気と環境ができあがる。変革を謳うのなら、まずはそうした前例主義の発想を根本的に変えなければいけないと思うのだが、どうだろう。

2012年10月22日

カンダハール

昨日、カナダのモントランブランからNYに帰ってきた。戻ってからも頭の片隅に引っかかっていることがいくつかあるのだけど、その一つが「カンダハール」だ。

今回、旅先に持って行った一冊が藤原新也の『空から恥が降る』だ。その中に、カンダハールの話が出てくる。そこは、彼が若いとき訪れた、まだソ連から蹂躙される前のアフガニスタンの南の都である。

そこで彼は、病み上がりの上に空腹で弱っていたところを地元の農民に助けられ、その際、スイカのように大きなメロンを切り分けたものでもてなされた。そのことで文字通り生き返ったように元気になった彼は、その時のことをこう回顧している。

「長い人生の中のたった数十分の出来事だった。しかしその一瞬の邂逅は私の身体の記憶に深く刻み込まれた」

彼が9/11以降も一貫してアフガニスタン側に立ちコメントを述べてきたのは、この経験があったからだろう。

その日、そんな話を読み終えた後、モントランブランの村を歩いていると、ある一帯の家の住居表示がすべてKandaharなのに気付いた。そう、そこはカンダハールという地区なのだ。もちろん偶然なのだが。



2012年10月21日

モントリオールのゾンビ

バスで一昨日と同じルートを逆にたどり、モントリオールへ戻って来た。

車中で、年配の日本人夫婦と出会った。モントランブランに一週間滞在していたそうだ。これからモントリオールへ戻り、その後トロントまで鉄道で移動した後、カナダ中央部のウィニペグへ飛行機で飛び、そこからは2泊3日の鉄道の旅を楽しみながらバンクーバーへ向かい、そこから日本に戻るとのこと。約1ヵ月の旅だと話していた。

2年前にご主人が仕事をリタイアして、それから計画を練っていたという。無事楽しい旅を続けられるよう言葉を交わし、モントリオールのバスターミナルで分かれた。日本にもこうした活動的でいい感じの年配のカップルが増えるといい。

外国で見かける日本人観光客というと、どういうわけだか中年女性の団体が多い。どのおばさんも同じような身なり格好をして、固まって歩いているので目立ち、すぐ分かる。最近は中国人のグループも多い。

南米のペルーで出会った日本人は、30代のカップルが多かった。ペルーは、中年のおばさんグループにはとっては「ロマンチック」じゃない場所なんだろう。

モントリオールに到着してから、僕はニューヨークへのフライトまでまだ時間があるので街の中をぶらつくことにした。途中で見かけた理髪店で髪を切ってもらった後(ずいぶん短く切られた)、アートセンター近くの公園で何やら騒がしい気配がするのでそちらの方へ向かう。

Montreal Zombie Walk という催しで、ゾンビのメークをした連中があちこちをうろついている。彼らは一般のゾンビファン(?)なのか、それとも役者が依頼されて演じているのか。何を狙った企画なのか確認せずじまいだったので趣旨はよく分からない。


まだ学生っぽいカップル。結構なりきっていた。
こちらもカップルで参加。どこで特殊メイクしたんだろう。
迫力満点のジェイソン。

アメリカン航空の飛行機は、左手にマンハッタン島を見下ろしながらロングアイルランド方面へ侵入していく。そこからゆっくりと左旋回した後、ジョン・F・ケネディ空港に到着した。着陸寸前、機体が何度か左右に大きく揺れた。左右どちらかの主翼の先端が滑走路にぶつかったのではないかと思ったが、なんとか無事着陸した。通路を挟んだ他の客と思わず顔を見合わせる。

ここからクイーンズのジャマイカ駅まで、いつものようにエア・トレインに5ドル払って乗車。カボチャを持った3人の男女(男2人、女1人)が乗っていた。僕と男の間の席に置かれたカボチャがあまりにも見事なので、それは作り物かと聞いたら、本物だと言う。他の2人が持っているカボチャも本物で、カボチャはスペイン産に限るなどと嬉しそうに話す。

ジャマイカ駅で6ドル25セント払ってロングアイルランド鉄道のチケットを買い、マンハッタンまで。そのホームでさっきのカボチャ・トリオとまた一緒になったので、Take care of your pumpkins!と乗り込む際に声をかける。

ところで、日本のカボチャはパンプキンとは種が異なる。こちらではそれをsquashという。飲み物かスポーツみないな名前だ。 

ペン・ステーションで地下鉄に乗り換え、アッパーウエストサイドのアパートに到着。建物に入ると、エントランスにハロウィーンの新しいディスプレイが。カボチャのお化けだ。



2012年10月20日

Oh My Deer

天気予報によると、モントランブラン地域は雨だとか。朝食をとりながら、さて今日一日どうしようかと考える。

空を見上げると曇ってはいるけど、すぐには降らないし、降っても大雨にはならないのが分かる。しかし、山頂(トレンブラン山)までのケーブルカーは営業していない。風が強かったり、天候不順の時には運行しないと表示してあるが、今日はなぜ運行しないのだろう。もうシーズンが終わってしまってるのか。

しかたないので、トレッキングルートを歩くことにした。山の中は落葉に埋もれてルートが分かりづらくなっているので、ルートから逸れないように慎重に進む。

聞こえるのは耳元で鳴る風の音、こずえがそよぐ音、枯葉が足下を舞う音だけ。4時間ほど山道を歩いて麓の村に戻ってきたが、その間誰とも会うことはなかった。最高の思索の時間である。途中で出会ったのは、野生の鹿だけだった。



2012年10月19日

紅葉を探してカナダへ

2週間ほど前、僕が大学を出て最初に就職した会社の先輩から、栂池高原と八方尾根の紅葉の写真が送られてきた。今年の紅葉が最高潮の時期に訪れたらしい。日本の秋をどうぞ、という心遣いである。目にも鮮やな日本の風景だった。

それに触発された訳ではないが、近場でどこか紅葉がきれいなところ考えたあげく、カナダのモントランブラン(Mont-Tremblant)を訪ねることに。

今日、ニューヨークからカナダにやって来た。本当は先週あたりの予定だったのだが、大学の用事で一週間ほど遅らせた旅になった。

到着したモントリオール空港の入国審査場は、がらんとしていた。窓口も2つ開いているだけだ(先々週の月曜日は米国がコロンバス・デーで祝日だったため、その週末はずいぶん大勢の米国人が訪れたらしい)。

窓口の担当官から「目的は?」と問われ、短く「観光」と答える。彼女が入国記録のハンコをどこに押そうかパスポートをめくっている間、「これからモントランブランに行くんだけど、もう紅葉は終わりだっていう話も聞いていて・・・」と言うと、彼女はパスポートを僕に返しながらこう言った。「モントランブランに行くのね。とてもいいところよ。そうね、山の上の方はもう散ってしまってるんじゃないかしら」。

一瞬、僕の顔が曇ったのを見て取ったのか、彼女はこう続けた。「紅葉は散ってしまってるかもしれないけど、その分たくさんモミジが下に積もっている。私は落葉の匂いが好きなの。だから、その上を散歩するのが大好き」。日本の入国管理官で、海外からの旅行者にこんな気の利いた対応ができる人がいるか。頭の良さような20代後半のメガネ美人である。

モントリオールの空港から市内へ。そこからは、目的地のモントランブランまでバスだ。ローカル線のバスで、いろいろ回り道をしながら進む。地元の人たちが途中で次々降りていき、やがて乗客は僕だけに。そして約3時間半、最終地で下車した。

2012年10月18日

フランスからのアクセス

このブログへのアクセスは、日本からが一番多い(日本語で書いているから当然だろうね)。次に米国。その後は日によるのだけど、ある日はロシア(なんで?)、ウクライナ(どうして?)、香港、台湾、豪州、英国、ドイツといった順番だったのが、フランスに関することを書いたら、一気にそこからのアクセスが増えた。フランス人も最近では日本語を解するのか?

2012年10月17日

悪趣味とはこういうことを言う

日本のメディアでも話題になっているらしいけど、フランスの国営放送がサッカー日本代表GK川島選手についての畸形の合成写真をバラエティ番組の中で映し、司会者が「福島(の原発事故)の影響だろう」とコメントしたという。その時、スタジオ内では笑いと拍手が起こったそうだ。

これを「フランス流のエスプリ」と言われてはたまらない。単なる無知と悪趣味である。

2012年10月16日

ハロウィーンの飾り付け

アパートに帰ったら、玄関の一部にハロウィーンの飾り付けがしてあった。


日本人には、不思議な感じである。

2012年10月14日

グレン・キャンベル、ラスト・ツアー

グレン・キャンベルのコンサートを観に行った。

昨年、自分がアルツハイマー型認知症を煩っていることを公表し、その後これが最後だというスタジオ録音アルバムを制作した。いま、完全引退へ向かうためツアー(The Goodbye Tour)を行っている。ニューヨークは、今日のカーネギーホールでの一公演だけだ。

きら星のような楽曲。優れたギタープレイ。そして、思っていた心配を吹き飛ばすようなしっかりした歌声が聞けた。ただ、バックバンドのメンバーによる前座演奏が長く、彼がステージに立ったのは1時間ほどだった。

彼が活躍した中心的な時期は、ほぼビートルズと重なっている。その時期、カントリー&ポップスのシンガーとしてアメリカの音楽界を引っ張ってきた。

2012年10月10日

Who is Yoko?


10月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載されていた全面広告。ジョン・レノンのイマジンの歌詞の一節と"Love, Yoko"のクレジット。

シリアやアフガンなどの地では、今も数多くの人たちが戦いで死んでいる。

Simplicity のお手本のような広告だけど、広告主の表記が Yoko だけだなんて。こちらでファーストネームだけで通じる日本人女性は、おそらく彼女とMidori(五嶋みどり)だけ。男性は、イチロー。他に誰かいたかな・・・。

2012年10月7日

マスコミとジャーナリズムのあいだ

米国で「マスコミ」という言葉を目にすることはない。本来の英語ではないから当然だが、その元になったマス・コミュニケーションという言葉すら、こちらで日常的に見聞きすることはあまりない。

日本で使われているマスコミにあたるのは、こちらではジャーナリズム、ジャーナリスト、ニューズ・レポート、メディア、ニューズ・メディア、あるいはプレスという言葉だ。一方、日本ではあまり目にしない言葉がジャーナリズムであり、ジャーナリストも芸能レポーターも一緒くたで「マスコミ」と呼ばれているのが日本の現状である。

米国にはジャーナリズムを専門に教える大学や大学院のコースがたくさんある。日本ではどうだ。ほとんどない。そうしたコースを修了したからといって優れたジャーナリストになれるわけではないが、日本のようにジャーナリズムに関しての基本的な知識やトレーニングすら踏んでいない者しかおらず、すべてメディアや通信社に就職してからのOJTというのはどうだろう。

結果、日本には「ジャーナリズム」も「ジャーナリスト」も不在で、それゆえミソもクソも「マスコミ」で一括りである。「マスコミ」と呼ぶ際に、その意図している対象を明確にして適切な用語を使うことからしか日本人の意識は変わらない。意図が先にあって言葉が選ばれているのではなく、不用意に(無意識に習慣的に)言葉を使うことから意図が曖昧なまま放置されている例だ。

2012年10月4日

Harvard Club

今日は、44丁目にある Harvard Club of New Yorkで早稲田大学ニューヨーク事務所主催の講演会があり、そこで少しスピーチをさせてもらった。ここはハーバード大学の関係者およびその同伴者のみが利用できる「倶楽部」だ。

今回はマーケティングの話ではなく、日本のマクロ経済の状況、とりわけメディアからのそれらの報道をわれわれがどう受け取るか、その認識の仕方について僕なりの提言をさせてもらった。

聴衆がどのように受け取ってくれるか少し心配していたのだが、講演会後の懇親会の席でニューヨーク在住の日本人の方から「あそこまでストレートに日本経済について日本人のあるべき受け取り方を話してくれた講演を初めて聞いた」といったコメントがあり、こちらが意図したことがだいたい聴衆に伝わっていたようでほっとした。

懇親会後は、関係者とハーバード・クラブのメインダイニングで食事をした。ネクタイをしていなかった僕は、レストランの入口で呼び止められネクタイを渡された。たまたま今日はジーンズじゃなかったからいいものの、ジーンズでの入店は認められていないとか。そうした格式高さが、いかにもという感じでそれらしい。

2012年10月1日

ヘルメットなし走行は危険か

以前も書いた通り、ニューヨーカーは自転車が好きだ。先日紹介したブルックリン・ブリッジもそうだが、セントラルパークやリバーサイド・パークなどでも自転車道がよく整備されていて、天気のよい休日などは多くのサイクリスト(こっちではバイカーと呼ぶ)が走りを楽しんでいる。

米国では自転車に乗る際のヘルメット着用は法律で定められたものではないが、なかば強制的な雰囲気がある。ヘルメットを被らず自転車に乗っている者を、安全意識や責任感にかけた人物とみなすところがある。喫煙者を見る目と共通しているかもしれない。

自転車を楽しむ人の多さは、自転車先進国とも言えるヨーロッパの各都市でも同様だ。ただ、自転車に乗る時にヘルメットをかぶるかどうかは両者でかなり異なっている。ヨーロッパでは、子どもへのヘルメットの着用は求められているが、大人はほとんど被らない。ヨーロッパの都市で、自動車の利用を減らすための方法としてバイク・シェアが普及している理由の一つは、ヘルメットの着用といった面倒なことが求められていないことにある。

あるデータによると、土地が平らで、道がよく整備されており、気候に恵まれたメルボルンではバイク・シェアの利用者は日に150人。一方、坂道が多く、舗装されていない道が多い、しかも寒いダブリンでは日に5000人がバイク・シェアを利用している。メルボルンはヘルメット着用が義務づけられていて、ダブリンはそれがない。

ヘルメットを被って自転車に乗るべきかどうか、シドニーのある大学の教授が数学モデルを使って調べたらしい。彼は「もしヘルメットを被って自転車に乗るというのなら、われわれは階段を上り下りする時や風呂に入る時にもそうすべきだ。なぜなら、そうした時に怪我をする確率の方がもっと高いからだ」と述べている。

レースに出場する場合やクルマの脇をすり抜けながら走らなければならない場合は別だろうが、自転車道を普通のスピードで走る時には、ヘルメットは被っても被らなくても大差はなさそうである。

周りのみんながヘルメットを被っているから、あるいはそうしないと危険に違いないから、というような先入観だけで行っていることは僕たちの周りには他にもありそうだ。たいして意味がないことを思い切って止めてしまうことで、何かが変わるということがある。

ところで、ニューヨークでも来年から自転車1万台をつかったバイク・シェアのプログラムが実行に移される。市長のブルームバーグは、ヘルメット着用を義務とすべきとする条例の制定要求を却下した。そうした条例によって自転車が危険な乗り物と認識され、利用する人が減少すると考えたからだ。現実的な判断である。