2017年3月31日

ボスポラス海峡を渡る

国際学会出席のため、先日からイスタンブールに来ている。午後、無事発表を終えたあと、街に少し出てみた。

写真は、ボスポラス大橋から見下ろしたボスポラス海峡。この海峡でアジア大陸とヨーロッパ大陸が分かたれている。右側の土地がヨーロッパ、左側がアジア。多摩川を渡って、東京都から神奈川県へ移動するのと何ら変わりない。

2017年3月27日

英語を早くから学ぶより、正確に日本語を話すことが大切ではないかな

前にも書いたが、しばらく前からメールなどの文章を書く際に音声入力をできるだけ使おうとしている。さすがに人前ではできないし、やらないが、外を散歩中であっても周りに雑音がなければイヤホンマイクをiPhoneに繫いでしゃべり始める。

あるまとまった考えを、いきなりしゃべりだけでまとめるのはなかなか難しい。難しいと言うより、慣れとある程度の訓練が必要だ。

文章を「書く」ときは推敲を前提に、思いついたことをキーボードで打っていけばよい。それがある程度まとまった段階で、中身の順番を入れ替えたり、補足したりして1つの文章にまとめることは誰もがやっていることだと思う。

音声入力であっても、それは書き文字の文章にするための1つの手段。だから、変換された文章を推敲することには変わりはない。

ただ違うのは、画面を見ていないと自分が何を話したかなんてすぐ忘れてしまい、どこをどう補足するかもよく分からないことだ。だから言葉を発すると同時に文章全体のイメージを構成していかなければならない。これはなかなか大変。

しかし、それができるようになると、音声から文字への変換精度も格段にあがる。ゆっくりしゃべる必要はない。早口だとAIが聞き取りづらいなんてことはなく、むしろあるまとまった固まりでAIが意味を理解し文字化しているので、早口の方が正確に文字に変えてくれるという印象すらある。

つまり、あるまとまった意味の固まりを正確に話せば、即時に近い感覚で活字になる。活字になれば、自動翻訳機能で外国語に訳し、それを自動音声で読み上げることができる。スマホが自動通訳機になる。

特殊なコミュニケーションを除けば、これで外国語間の言葉のやりとりはいずれ解決できるようになるはずである。

小学生英語に関して、いま5年生と6年生がやっていることが3年生、4年生で実施されるらしい。小学校で英語を教えられる先生がいなくて困っているという話がある。何を言っているのか分からない英語をしゃべる先生にあたった生徒は、一気に英語が嫌いになってしまうだろう。

だったら、英語はこれまでどおり中学生からにしておいて、それよりも大切なことは、日本語で正確かつ論理的な話ができるような教育を深めていくことだと思う。その方が、子供たちの将来に訳に立つと思うのだが、どうだろう。

2017年3月16日

タクツァン僧院までトレッキング(ブータン / 5)

断崖に張りつくように建てられたタクツァン僧院までは、いったん登って、下って、また登るというやっかいな道のりだった。

途中の休憩と昼食をいれて、全部で6時間ほどの長い行程だった。ずいぶん疲れたが、幸いに天気に恵まれ、お参りには御利益があったのではないかな。当然ながら、自分の足で苦労してこそである。



鐘(巨大なマニ車)を回しているのは、今回ブータンを一緒に回った僕のドライバー。中に教典が収められていて、回転させるごとにそのお経を唱えたのと同じ功徳があるとされている。

2017年3月15日

ブータンは、犬が世界一幸せな国であることは間違いない(ブータン / 4)

初日に越えたドチュラ峠を今度は反対側から越えて、午後にティンプーの街に戻ってきた。天気は快晴。

ブータンが日本でも有名になったのは、GNH(国民総幸福量)という指標を国王が掲げたことにある。ただ、その調査に対しては問題を指摘することができる。

まず、それほど頻繁に(定期的に)測定されているものではないこと。そして、肝心なのはその調査法。僕が今回現地で知ったのは、役人たちが全国のそれぞれの管轄地域の家を個別に周り、すごく幸福、幸福、幸福でない、の3つの選択肢から回答を求めて取ったデータがもとになっている事実。わざわざ家を訪れてきた役人に、三つ目の「幸福でない」と回答するのは一般的国民は難しかったはずだ。

米国でトランプが事前予想を裏切って大統領になったように、調査とはそのやり方次第で本当の姿を見えなくしてしまう。それも意外と簡単に。

ティンプー市内の目抜き通り

 
各地に向かうバスが発着するターミナル

お喋りしながら編み物をするおばさんたち

民族衣装「ゴ」「キラ」の生地を売る店

この国には信号は1つもない。おまわりさんが手でさばく。

街中に一件だけ、illyのコーヒーを飲ませる店があった

それはさておき、ティンプーに限らずブータンを歩いていて感じたのは、どこにでも犬(ほとんどは野良犬)がいて、人間と共存するようにのんびり生きていること。

殺生を禁ずる国だから、野良犬といえども日本のように捕獲して殺処分するなんてことはあり得ない。だから、わんこたちも実にのんびり昼寝している。

ここでは犬たちが世界一幸福なのは、間違いないと思う。

のんびり昼寝する野良たち

ここにも

どこにでも

人が近くを通ったって平気

野良が完全に町に溶け込んでいる

人間と仲良し

2017年3月14日

農業試験場を訪ねる(ブータン / 3)

早朝、ホテルの周辺を散策していた時、子供を抱いた女性に会った。すれ違いざまに「クズサンポー」と話しかけたら、「クズサンポー」と返ってきた。「こんにちは」の意味だ。僕が知っている唯一のブータン語である。


「日本からですか」と彼女から日本語で話しかけられ、そうですよと答えたところ、「私のオフィスには日本の人がいます」と。彼女はこれからそのオフィスに出勤する途中らしい。子供を抱いて出勤しているのは、急にベビーシッターが来られなくなったからだそうだ。

その日本人は、ブータンに来てもう30年以上にわたり農業指導をしている方だと言う。アグリカルチャー・リサーチセンターで働いていると聞いた。今朝はカムスムユーレイ・ナムゲル・チョルテンという仏塔を午前中に訪ねる予定だったが、予定を変更した。

彼女から教えてもらった電話番号に連絡するとその富安さんが出た。ただ彼は近くの村に農業指導に行く予定で、いまはそこへ向かっていて運転中だと言う。でも事務所にはもう1人の日本人がいると話してくれた。その人は協力隊の調査員を経て、その後ブータンで農業指導の仕事をしている佐々木さん。

朝食後、話を聞きにアグリカルチャー・リサーチセンターの佐々木さんを訪ねた。正式にはアグリカルチャー・リサーチ・アンド・デベロップメント・センターというらしい。

事務所で佐々木さんからブータンのこと、特に山岳地帯での農業のことなど話をうかがったあと、「フィールドを見てみますか」と言われ外に出た。ここでは主として園芸作物を試験的に栽培している。かつて稲作は、日本から農業指導の目的でブータンに来た西岡京治さんが長年努力をされて、この国の状況を大きく改善した歴史がある。

かなりの広さの土地に、数々の果樹が植えられていた。弘前大学の学生が持って来たというリンゴの木が4本植えられていた。
 
何も娯楽がない(ように見える)ブータンのいなかの村に、現地のために働いている日本の人たちがいるのを知り、すこし背筋が伸びたような気がした。





2017年3月13日

ドチュラ峠を越える(ブータン / 2 )

ブータンの首都ティンプー(Thimphu)からプナカ(Punakha)へ行く途中にあるドチュラ峠(Dochula Pass)を越える。標高は3150メートルほどだが、数日前の大雪で冠雪していた。向こうにヒマラヤ山脈の山なみがみえる。


プナカへ。ブータン仏教美術の粋を集めて修復されたというプナカゾンを訪ねる。

プナカゾンの入口(ゾンは大規模な僧院)  
プナカゾン全景
その後、チミラカン(ラカンは寺の意)まで田舎道を小一時間歩く。途中、地元の子供たちにたくさん会う。

途上国の子供たちはどこでも思いっきり明るい
チミラカンは子作りで有名な寺。そのせいか、村のなかには男性のシンボルのイラストが平然とあちこちに描かれている。

2017年3月12日

大雪でフライトが遅れる(ブータン / 1)

羽田空港を発ち、中継地のバンコク空港には予定より小一時間近く到着した。予定では乗換が1時間半を切っていたので、僕の預け入れ荷物には「Hot Transfer」の黄色いタグが付けられていた。

ところが、朝6時50発のロイヤル・ブータンエアウェイズの飛行機はいつまで経ってもバンコクに現れない。どうも昨夜のブータンでの大雪でフライトが大幅に遅れているらしい。修正された予定は、午後1時30分。6時間以上の遅れだ。

お陰でブータン航空持ちで空港内のトランスファー用ホテルの一室を取ってもらい、シャワーを浴び、一眠りすることができた。しかし、僕はバンコクの空港で昼寝をするために来たのではない。早くブータンに到着したい。

結局、フライトはさらに遅れ、午後2時45分頃にやっと搭乗機はバンコクからブータンのパロを目指して飛び立った。

お陰でパロ空港に降り立ち、実にスローで時間のかかる入国手続きをクリアして空港から外に出たときには、もうあたりは暗くなっていた。その日の午後の予定がすべてとんでしまった。




2017年3月4日

LA LA LAND


今日の新聞によると、日本のサラリーマンでも副業をやる人が増えてきているという。あるアウトソーシング専門会社は、日本で現在副業をしている人の数は約400万人と発表している。

ただし、その内容を見てみるとウェブ上に物販サイトを立ち上げ、よそから仕入れたものを売って、売値と仕入れ値の差を稼ぐといったローリスク、ローリターンの日銭稼ぎが大多数。月収は数千円程度。赤字が出ていないだけでもマシだし、それ自体が楽しければ、それはそれで結構。あるいは一件500円で恋愛相談に乗る、なんて言うサービスも紹介されていた。

話は変わるが、今日やっとレイトショーで映画「LALA LAND」を観た。ハリウッドで女優を目指す女性とフリージャズをやっている男性の恋愛映画である。

女優志望のミア(エマ・ストーン)は友人とロサンゼルスのアパートに暮らし、MGMのスタジオ内のカフェでウェイトレスをしながら日々オーディションを受けるが、うまくいかない。ミアは失敗続きのオーディションに凹むが、ジャズプレイヤーを目指すセブ(ライアン・ゴズリング)から、自分で脚本を書き自作自演をすればオーディションで落とされる事はないじゃないかというアドバイスを受ける。

そして自分で脚本を書き、小さな劇場ながらそこで一人芝居を打つ。芝居が終了後、厳しい批判の声が楽屋まで聞こえてきて彼女は落ち込むが、その芝居を見ていた1人の映画関係者からその後映画への声がかかる。それをきっかけとしてミアは女優への道を突き進むことになる。

ミアがオーディションを受ける場面がいくつも出てくる。どれもうまくいかないのだけど、その画面を見ていて、彼女自身このミアの役を手にするためにオーディションを受けたのだろうと思った。厳しいが、うまくいくまで受け続けるしかない。うまく行くかどうかも分からない。結果として成功するよりも人生のある部分をムダにしてしまう人たちの方が大部分である。

人気女優を目指すのも、ジャズ・ミュージシャンとして成功するのもハイリスク、ハイリターンだ。

それにしても、エマ・ストーンという女優は目が異様に大きく、一度見たら忘れられない。正確には、目がでかいと言うより眼球がでかい。


LA LA LAND は、監督が「セッション」を作ったデミアン・チャゼルだけあって音楽がいい。ダンスがダイナミックだ。ハリウッドだけでなく、フランスの古いミュージカル映画からの引用やオマージュに溢れていて、映画好きならたまらないだろう。