2016年12月18日

曲げないドイツ人、決めない日本人

ネルケ無方さんは、日本在住25年になるドイツ人。曹洞宗、安泰寺(兵庫県)の住職である。高校生の時に坐禅と出会い、ベルリンで坐禅道場に通い始めたのがそもそもの禅の道に進むきっかけという。


ドイツ人(に限らないだろうけど)は、主義主張が明確。曖昧さを嫌う。彼は日本で運転免許を取った。ドイツでは、横断歩道ではかならず歩行者が優先。親は子どもに、クルマが来ていようが「お前の方が優先なんだから、手を挙げて渡れ」と教えるらしい。日本では、右を見て左を見て右を見て、「クルマが来ていなかったら」手を挙げて渡りなさいと教える。まったく違うらしい。

ドイツ人の頑固さがよく分かる話だけど、日本で寺の住職が務まるのかなあと、ふと余計なことだけど気になってしまう。見かけもインパクトがある。

いまは自給自足の寺(安泰寺)を継ぎ、多くの弟子を抱えている。彼は寺では弟子に、キュウリのように育ちなさい、と教えている。キュウリは、上から垂らした一本の麻紐を自分でつかんで昇って育っていく。自律性に富んだ野菜だ。

一方、多くの日本人はトマト。トマトを育てるには支柱を何本も立てる必要がある。そして、何日かおきに紐でしっかり結んでやらないと風で倒れてしまう。横から生えてくる余計な芽を摘んでおかないとだめだし、水をやらなければならないが、やり過ぎると腐る。手間がすごくかかる。トマトのように、日本人は小さいときから親から過剰な面倒を見てもらって育ってきているのではないかと。

この観察にどう反応するかは人それぞれだろうが、おおむね当たっていると思う。彼の頭には、日本の家庭内での教育があったみたいだったけど、実際のところ大学でもこれは言える。


 今朝の一曲は、アレサ・フランクリンの A Natural Woman。