2013年10月30日

Summarizing Kotler

東京国際フォーラムでコトラーの講演があった。演題は、Marketing and Innovation: The Winning Combinationというもの。彼が2011年に発行した本(実際は共著者がほとんど書いている)、Winning at Innovation のなかからの話で始まった。いろんな企業のマーケティングの実例や逸話を盛り込んでの講演はとても上手だけど、話の中身はほとんどがこれまでの本の中で紹介されていること。全体的には、さしずめ Summarizing Kotler といった内容だった。

ところで、今回の講演は日立製作所が主催した「日立イノベーションフォーラム2013」の中のひとつのプログラム。今回は、コトラーのほか、スティーグリッツ、そして元世銀副総裁の西水美恵子さんの講演を聴いた。彼女の講演パートでは60分の講演のあと、30分強の質疑応答が行われた。

そもそもフォーラムの意味はというと「公開討論会」。しかし、今回のものだけではなく企業が行う「フォーラム」のほとんどはフォーラムにはなっていない。スピーカーが現れ、壇上で話をし、司会者が彼(女)にありがとうございましたと言ってそれで即終わり。主催者はフォーラムとは何かがまったく分かっていない。

その中で、今回、西水さんが会場からの質問に楽しみながら積極的に答えていた姿がとても好印象だった。

2013年10月29日

♨ 安兵衛湯

昨日の夕刊の文化面に、作詞家の喜多條忠が「横丁の風呂屋」を書いていた。

1973年、彼が26歳の時に詞を書いた「神田川」とその頃の彼自身の話だ。「神田川」は、彼が早稲田をやめ(除籍になり)、放送作家をやっていた時に「南こうせつとかぐや姫」のために書いた曲。「♪小さな石鹸 カタカタ鳴った」など四畳半フォークと言われたジャンルの代表曲である。

僕は早稲田大学入学時から2年間、大学のすぐ近くの下宿に住んでいた。だから早稲田界隈にある銭湯はほとんど知っている。

学生時代から、この曲を聴く度に舞台になったのはどこの銭湯か、少し気になっていた。今回の記事にその曲作りのもとになった銭湯の写真が載っていた。

ああ、安兵衛湯だ。早稲田通りの一本裏手の通りから少し入ったところ。大きな立派な煙突のある銭湯だった。

すでになくなってしまったが、いまも大学からの帰り道、そばを通るとふとその銭湯があった場所に目を向けることがある。

昔からつっかえてた謎から解放されたような気分だ。


2013年10月26日

「偽装」それとも「誤表示」

阪急阪神ホテルズで、レストランのメニューの表示が不正だったニュース。社長は、記者会見で偽装ではなく、誤表示だと主張していた。彼によると、だます意図を持っていたのなら偽装だが、今回は無知によって発生したものなので誤表示だという。

偽装を認めれば、経営者の責任が問われる。それを考えて現場の社員の「無知」のせいにしたのだろうが、「あのホテルの従業員(レストランスタッフ)は、芝エビとバナメイエビの違いや九条ネギと白ネギの違いも分からないで調理していたのか」と顧客や一般市民に思わせることになるのが分かっていないのだろうか。このことは、ホテルそのものの信用を大幅に損なうことになる。

つまり、その社長は自分が経営を任されている企業より、自分の責任回避を優先させたわけである。株主たちは今後、その点をしっかり追求すべきだろう。

それともう1つ、テレビの記者会見で驚いたのは、リッツ・カールトンホテル大阪の総支配人だというフランス人は日本語が理解できないこと。よくそれで日本にあるホテルのトップマネジメントが務まるものだ。

今回のいくつかの問題、次回のサービスマーケティング研究の授業で大学院生たちと議論してみよう。

 (追記)10月28日、阪急阪神ホテルズの社長が辞任した。辞めるのではなく、経営責任者として他にすべきことがたくさんあると思うのだが。日本ではなぜ経営者の責任の取り方が、こうワンパターンなのだろう。

 

2013年10月13日

流星ひとつ

30年ほど前に沢木耕太郎が書いたノンフィクションが、新潮社から緊急刊行として書店にならんだ。藤桂子とのインタビューである『流星ひとつ』だ。


彼女がなぜ引退を決意したか、そのことを中心に彼女の生きてきた道筋をたどるような内容である。全編、藤とインタビュアーである沢木の会話だけで構成されている。つまり、地の文がまったくないのだ。まるでラジオドラマのシナリオか何かのように感じた。

本の扉のところには、一九七九年秋 東京紀尾井町 ホテルニューオータニ四十階 バー・バルゴー と記されているが、実際はその後の何度もの追加インタビューを含めて書かれたものらしい。

30年以上前に書かれていながら、その本は当時は沢木の判断で公刊されなかった。藤本人からは出版してもいいと思うとの返事をもらっていたにもかかわらず。もし万一、いつかどこかで藤が復帰する時のことを考えたからである。

藤のこんな台詞、というか発言がある。「永く芸能界にいつづければいい、なんてことはない、と思うんだ。永く歌っていたからといって、紫綬褒章だかなんだか知らないけど、国から勲章をもらって・・・・・・馬鹿ばかしいったらありゃしない。その歌手はただ生活のために歌を歌っていたにすぎないのに。それだったら、どうしてお豆腐屋さんのおじさんにあげないんだろう。駄目な歌は、もう歌じゃない。駄目な歌を歌う歌手は、歌手じゃないはずなんだ」・・・・これが藤の歌手としての矜恃だったんだろう。

彼女がヒットを連発していた頃、僕はまだ小学校の高学年。当時いつも一緒に遊んでいた友人の鈴木君が彼女の大ファンだった。僕は、彼女が歌う歌詞の内容なんかよく分からなかったが、熱狂的な鈴木君の推しでしだいに引かれていったのを思い出す。小学6年生で、彼は藤桂子の歌になぜあれほど入れ込んでいたのかは、いまも分からないけど。