2012年5月30日

「弱」でも「強」

メモリアル・デーが過ぎて、実際に米国は夏になったようである。昨日はNYで気温が90度に達した。これは華氏で、摂氏だと32度くらい。

扇風機を買った。シンプルでごく標準的なスタンド式だ。風力は3段階調整になっているのだが、弱でも日本の扇風機の強の勢いでファンが回る。涼しいが、うるさい。机の上の書類が飛んでいく。新聞を拡げて読めない。これより弱くはできないので、置き場所を遠ざけるしかない。

部屋の中で目一杯離したところにおいて使っているが、それでも風が強すぎる。米国の消費者は、日本人が気にするようなデリケートな調整機能を求めないという典型例である。

2012年5月28日

5月の連休@セントラルパーク

5月の最終月曜日(5/28)は Memorial Day(戦没者追悼記念日)で、国民の休日になっている。米国では、この日を境に夏が始まる。もっとも米国人の友人が言うところでは、連休前日の金曜日の夕方から(気分的には)夏が始まるのだとか。

今日は連休のなか日で、街全体がのんびりした感じ。今の時期、夜の8時を過ぎても空は明るい。夕方、何のあてもなくセントラルパークへ散歩に出かけた。緑がきれいだ。


メトロポリタン美術館の裏手あたりで見かけた Cleopatra's needle と呼ばれるオベリスク。紀元前16世紀ごろにつくられたもので、1881年にエジプトからニューヨーク市に贈られたと表示してあった。高さ21メートル、重量約80トンという代物である。住まいの近くに同じ名前のレストラン&ジャズ・バーがあって、日本人のプレイヤーもよく出演していることもあり時折出かける。店の名の由来はここからだったのだろう。

セントラルパークのほぼ中央にあるGreat Lawn

 夕陽を水面に映したThe Pond という名の池
 
その池のすぐ近くにあるBelvedere Castle

近くに寄っても逃げない公園内のリスたち

2012年5月27日

夏を告げる?七面鳥

米国人の友人が、ターキーが手に入ったからと夕食に招待してくれたので、夕方から出かけた。34丁目のPenn Stationから鉄道で40分ほど、ロングアイランド方面に向かう。

静かな住宅地の一角にある彼の家で振る舞われたのは、5時間半かけてオーブンで焼き上げたという、実に立派な七面鳥の丸焼きだ。七面鳥のなか(内臓があったところ)にはクランベリーやハーブで味付けをしたパンなどを押し込み、焼き上げるらしい。僕はそうした調理法を知らなかった。

焼き上がりは、実に上々。色も香りもいい、味もさっぱりしていてなかなかだった。部位によって味がライト、ヘビーと呼ばれるように異なるのも初めて知った。七面鳥は感謝祭に食べるものという固定概念を持っていたが、米国人の普段の食卓にとっても大切な料理のようである。

2012年5月26日

早稲田大学の教職員と学生を狙った不正メール

大学の関係者に以下のような不正メールが送りつけられているらしい。日本人が書いたものには見えない。何を狙っているのか。学生のみんなは気を付けて欲しい。

Subject:緊急

Date: Wed, 16 May 2012 01:03:21 +0800 (WST)
From: Waseda Account Billing

Reply-To:Waseda Account Billing

To: undisclosed-recipients:;
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2012年5月25日

Steve Tyrell

アッパー・イースト・サイドにあるCafe Carlyleで、スティーブ・タイレルのコンサートがあった。ここはローズウッドホテル・チェーンが経営する名門ホテル・カーライルのなかにある。ウディ・アレンもこのステージで時折演奏している。

彼の「Back to Bacharach」は、ずっと僕のお気に入りのアルバムで、バート・バカラック本人がピアノやアレンジを行っている。どの曲も、何度聞いても飽きない。一度、彼の歌を生で聞いてみたいと思っていたところだった。


リンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアート、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスなど数多くのアーティストのプロデュースをやって来た人。B. J. トーマスが唄ったバート・バカラックの「雨に濡れても」(映画「明日に向かって撃て」でブッチ・キャシディ役のポール・ニューマンとエッタ・プレース役のキャサリン・ロスが、自転車に乗ってデートをするシーンで使われた)を世に出した。

音楽プロデューサーとして、歌手に歌わせる曲のデモを吹き込んだりしていたところ、音楽仲間に勧められてそのまま自分も歌手デビューした。1999年、50歳でのデビューである。

なめらかな美声ではない。まったく逆で、しわがれた、どちらかというとダミ声である。しかし、彼が歌うジャズの曲は、それが他の多くの歌い手たちが歌ってきたスタンダードであっても、まるでその声であらかじめ歌われるのが決められていたかのように感じる。

隣の席に座っていた男が彼の友人だとかで、コンサートが終わった後に紹介してくれた。ぜひまた東京(東京ブルーノート)公演をしたいと言っていた。記念写真を一緒に撮った。


2012年5月24日

A Passion for Central Park with Paul Auster

A Passion for the Park with Readings from Central Park と題した催しが95丁目のシンフォニー・スペースであった。http://www.symphonyspace.org/event/6970-selected-shorts-a-passion-for-central-park-with-paul-auster

セントラルパークをテーマに書かれた短編(あるいはその一節)をステージで朗読するというもの。ポール・オースターやスーザン・チーバー(ジョン・チーバーの娘)らが書いた4つの短編が朗読された。自らが登壇したポール・オースターは、Moon PalaceからFogg in the Parkと題した朗読を行った。
参考:http://timmarshall20.wordpress.com/2012/03/24/moon-palace-and-the-art-of-paul-auster/

2012年5月23日

人は見かけによる

先週ジャマイカで経験したことだが、土産物屋やレストランの店員に比べて、通りのポン引きたちは僕が日本人であることを見事に言い当てた。

その理由を考えてみた。一つには、真剣さの違いが挙げられる。昼飯を食いに店に入ってきた日本人を中国人と間違えようがどうしようが、売上にはほとんど関係しない。だから、学習する必要がない。しかし、ポン引きは違う。最初のつかみで決まるから、相手の出身国を間違えて声をかけたのではシャレにならない。つまり、真剣さが違うのだ。

もうひとつは、これまで経験してきた数だ。いくら真剣だからといっても、これまで見たことがない国出身の人物の国籍を言い当てることはできない。その場合、経験の数がものをいう。おそらく彼らも最初は、日本人と韓国人と中国人の見た目の違いなど判らなかったはずだ。ひとまとまりで「アジア人」という程度の見分け方しかできなかっただろう。しかし、経験値を高めることで自然と違いが分かるようになったに違いない。それは、誰もが自然と行っている認識能力の獲得の仕方だ。

僕が米国に来て3ヵ月近くになり、一つ変わったなと自分で思うのは、アメリカ人の顔が判るようになったことである。具体体にいうと、これまで見た目だけではなかなか判別出来なかった相手の知的レベルや性格が顔でなんとなく判るようになった(その正確さについての証明はできないけど、そう思える)。女はもともと判りやすかった。でも男は顔だけで推し量ることは難しかった。

「人は見かけによらない」という言葉があるが、人は見かけによるのだ。「人は見かけによらない」というのは、例外の存在を忘れないための戒めの言葉であろう。

ただしこのことは、例えば高級なブランド品を身につけているから中身も高級だとか、またその逆に粗末なものをまとっているから人物も卑しいに違いないといった浅薄な判断力のことを言っているのではない。値の張るブランド品を身につけた精神のコジキはたくさんいるし、その逆もまたしかり。しかし、顔つきはウソはつけない、と僕は思っている。

しかしだ。人は見かけによるとしたら、ポン引きに声をかけられた僕は、そういう顔をしていたということになる。

2012年5月22日

手荷物検査で引っかかる

昨日、ジャマイカの空港で、米国へ向けての出国手続きの際に手荷物検査で引っかかった。持ち物はキャリーバッグとリュックだけだったのだが、検査官の女性に両方とも中身を徹底的にひっくり返された。

こればっかりは、なすがままに任せるしかない。相手も仕事なのだ。彼女とて、好き好んで洗濯前の汚れたパンツやシャツをかき回しているわけではないのだから。ずいぶん念入りにバックの中身をチェックした後、なにも怪しいものがないと判断した彼女は、それまでとは打って変わって素晴らしくにこやかでチャーミングともいえる笑顔を僕に向けた。「ゴメンね」とでも言っているかのように。

今日昼飯を一緒に食った米国人の友人にそんな話をすると、「一人でジャマイカへ行けば、そうした扱いを受けても仕方ないよ」と慰めてくれた。まあ、そんなものか。

2012年5月21日

またキングストンへ、そしてNYへ(ジャマイカ /11)

帰りはこのままモンテゴベイの空港からNYへ飛ぼうと思ったが、フライトの予約変更がうまくいかずキングストンへまた戻ることにした。利用するのは、こちらへ来た時に乗った長距離バスである。出発が朝の8時半と早かったせいか、乗客は10名もいない。バスは予定の時間通り出発。4時間弱でキングストンのバス・ターミナルに着く。

キングストンに着き、バスを降りたところで乗客の一人だったアメリカ人と知り合った。長髪、50歳後半の教育学が専門の大学教授で、ジャマイカ政府から依頼され、勤務先大学の休みの期間を使ってこの国の教育改革の手伝いをするため何度も来ているという(米国の大学では春学期が5月初めには終了するから、この時期はもう夏休みに入っている。そういえば、コロンビア大学ではこの前の水曜日に卒業式があった)。モンテゴ・ベイで2週間ほど仕事をした後、今度はキングストンで仕事だという。

「この国の教育制度と現状をどう思っているか」と尋ねたら、「どの学校も教材が足りない、施設が貧弱だ、教師の給料が安い、問題が多い」。「でも教師たちは、とても献身的だ」と言う。観光客の一人でしかない僕は、学校のなかの具体的なことは分からない。だが教師が献身的だというのは、なんとなく分かる気がする。

僕の感じたジャマイカ人の印象を書こう。彼らはとても真面目で、勤勉である。誰もが親切で優しく、ユーモアに溢れている。本当だ。少なくとも僕が会ったジャマイカ人は、みんなそうした人たちだった(観光案内を装いチップをせびった連中ですらそうだ)。この国には、どこの国にも必ずいる根っからの悪人というのがいないんじゃないかという気すらする。

2012年5月20日

モンテゴベイのダウンタウンで声をかけられるということ(ジャマイカ /10)

朝食後、モンテゴベイのダウンタウンまで歩く。

結構な距離で、やっと町の手前まで来たとき、2人のジャマイカ人の若者が声をかけてきた。例によって日本語で「ニッポン人ですか?」ときた。

サングラスをかけ、帽子を目深に被っていても日本人だと分かるらしい。ひとりは少し日本語ができる様子で、自分は大阪のリョウコという女を知っているとか、京都から来たマリコを知っているとか、嬉しそうにしゃべる。


サム・シャープという奴隷解放運動のリーダーだった人物の銅像の所で、いかに彼が勇敢にかつての支配者であった英国人と戦ったかを語ってくれた。そうしたガイド話を聞きながら、決して悪人ではなさそうだけど、このまま付きまとわれると必ず金をせびられると思ったので、思い切って私は一人で町を歩きたい、と彼らに言った。

すると突如歩みを止めた2人は、われわれは盗人でもなければ物乞いでもないとはっきり言った。われわれはいつもこうして海外からの客人をもてなしているのだ、と僕の目をまっすぐに見て言ったあと、「しかし、チップは欲しい」と言った。


やっぱりそうだった。でもまあいいかと、ポケットのなかにあった500(ジャマイカ)ドル紙幣を2人で分けるように言って一人に渡した。それを受け取った男は、何も言わずくるりと後ろ向くやいなやさっさと立ち去り始めた。

もう一人は、俺にもくれよ、というようなことを言いながら手を差し出す。「さっき渡した金を2人で分けろ。もうたくさんだ」と少しきつく言うと、仕方なそうに去っていった。

海外でこんな時、自分は正しいことをしたのかどうか、いつも少しばかり悩む。金をやったのはよかったのかどうか、よかったとすると金額は適当だったのかどうかなどと、歩きながらつらつらと考える。

それからものの5分もしないうちにまた別のジャマイカ人、今度は年配の男性が英語で話しかけてきた。「朝飯は食ったか?」と何度も僕にたずねる。へんな奴だなと思いつつ、「食った」と答えると、彼は僕が泊まっているホテルの名前をあげ、自分はそこのシェフで毎日朝食をつくっている、そして僕のことも知っていると言うではないか。シェフには見えなかったが、調理の手伝いなどしているのもしれない。

その男は「あのホテルの客のほとんどはホテルの敷地から外に出ようとはしない、あれではJail(監獄)だ」と言った。「お前のように一人でこうして街中をほっつき歩く奴は珍しい」と言いながら後ろを付いてくる。こいつも悪人ではなさそうで、この地にやって来る外国人観光客のことなど地元の人がどう考えているのかヒアリングしてやろうとふと考えたが、最後には「おれは物乞いでも盗人でもないが、チップはくれ」と言ってくるのだろうと思い、お引き取り願った。金銭の問題ではない。そうした対象と考えられるのが、あまり愉快ではないのだ。

町の真ん中にほぼ近いところにセント・ジェームズ・チャーチというイギリス国教会の教会がある。土曜日の昼間だというのに、たくさんの人が集まっている様子。行ってみると、地元のある女性の葬儀が行われていて、彼女の孫だというジャマイカ人の男性が追悼のスピーチをしていた。


その教会の駐車場に「Nippon Rent-A-Car」と書かれた車がとめてあった。お払い箱になった日本の中古レンタカーが、流れ流れてやってきたんだろう。わずかばかりの感慨を感じた。

2012年5月19日

Jamaica は No Problem なのだ(ジャマイカ /9)

モンテゴベイにAQUASOLという名の遊園地がある。中には入らなかったが、浅草花やしきみたいな感じだ。入口にそのアトラクションの内容を表した大きな看板があった。よく描かれているではないか。立派なアートである。左下の方に描かれたバッグには、Jamaica no Problem の文字が。これがジャマイカのスピリットだ。


「おっにいさん」って、おれのこと?(ジャマイカ /8)

夕食前に近くを散策しようと思い出かけた。ホテルの守衛にゲートを開けてくれと行ったら、部屋番号を聞かれた。ゲートを出てすぐさま、さっきまで守衛と立ち話をしていた男が駆け寄ってきて、買い物か、女か、としつこく聞く。ただの散歩だと言って出かけた。

この辺りはリゾートホテルが並ぶジャマイカでも有数の観光地のはずだが、ほとんど人通りがない。いても、地元の人か、土産物屋の店員だ。通りに並ぶ店自体がまだ7時だというのに多くがシャッターを下ろし、明かりを消している。レストランとバーの前だけが煌々と明るい。

歩いていると、「こんばんはー」とか「おっにいさん」とジャマイカのお兄さんたちから日本語で話しかけられる。無視して歩き続けると後ろを付いてきて「いい女、紹介するよ」とこれまた日本語で話しかけてくる。

こちらに来てから、これまでタクシーの運転手や店の店員などから、たいていは「お前は中国人か」と聞かれてきた。スペイン人と間違えられたことも何度かある(本当だ、笑)。

そうしたなか、ポン引きの兄ちゃんたちだけは、うす暗闇の中でもこちらが日本人だとよく判るものだと感心する。(それがなぜかということを考察すると論文一本分くらいになるので、ここでは書かない)。ホテルの守衛が、出掛けしなにこちらに見せたちょっと意味深な表情は、これに関係していたのかもしれない。

日がすっかり暮れたのでダウンタウンまで行くのを止め、途中からホテルに引き返すことにした。来る途中は気がつかなかったが、人気のほとんどない道ばたの方々に警察官が立っている。なるほど夜はそういう場所なのかと思いつつホテルへ戻った。

いろんなカップルがいていい(ジャマイカ /7)

ホテルに連泊していると、レストランやバーなどで顔見知りができる。話はほとんどしないが、軽い挨拶くらいはするようになる。

周りの客は、圧倒的に男女のカップルが多い。これはリゾートという場所柄から当然のことだろう。組み合わせは、白人同士のカップルが一番多く、次に黒人同士、その次は白人男性と黒人女性、最後に黒人男性と白人女性のカップルという順だ。女性同士のカップル(白人同士、黒人同士、白人と黒人)も目につく。これは仲のいいお友達同士といった感じである。白人男性同士のカップルも何組かいる。こっちはほとんどがゲイのカップルだ。

ところで、人様の身体的特徴をあれこれ言えた筋合いではないけど、どうしてこうも男も女も超肥満体が多いのか。相撲部屋に紛れ込んだとでも言おうか。たまたまデブが多いのか。あるいはデブはジャマイカが好きなのか。彼らの大きさを言葉でうまく表現できないのが残念(その人たちの名誉のために写真は載せない。僕だって他の客からは国籍不明、年齢不詳のあやしい男と見られてるだろうからね)。

2012年5月18日

All inclusive はジャマイカから(ジャマイカ /6)

ジャマイカのリゾート・ホテルの多くは、all inclusive(何もかもすべて込み)という料金制度を採用している。食事代やバーでの飲み代、さまざまなアトラクションへの参加費、税金やチップまでタダ、いやタダではなくあらかじめ決められた料金に含まれているのである。地中海クラブなども採用しているこうしたやり方は、ここジャマイカが発祥の地である。

そのアイデアのきっかけが何かは知らないのだが、客側からすれば追加料金がかからないのでスッキリ明瞭会計というメリットはある。ホテル側にとっては、面倒な会計が一切必要ない。これは大きい。人やシステムにかかる事務コストが最小限ですむ。客が追加的に支払う必要があるのは、電話料金とワインをボトルで注文した時くらいである。

ただ、こうしたオール・インクルーシブのビジネスのやり方に批判もある。環境へ負荷が高くなるという主張である。「食い放題、飲み放題」だから、余計に食物資源が消費、あるいは浪費されるということだろうか。でもそうだとすると、日本のホテルでも流行りの「ブッフェ式」の食事の提供の仕方と同じかなとも思ってしまうが。

「用心棒」に会う(ジャマイカ /5)

カリブ海の水は、透き通るような薄緑色をしている。夕暮れ近くまで浜を歩き、その後はホテルの部屋のベランダで本を読む。目の前に拡がる海の上を20分おきくらいにジェット機が横切る。近くの国際空港へ向け着陸態勢に入った飛行機だ。

ホテルの部屋でテレビをつけたらの日本の映画が流れていた。黒澤明の「用心棒」である。思わず見入る。スペイン語の字幕がついている。2月末に日本を出てから、日本映画を見るのはこれが初めてだ。だからというわけでなく、これは何度見ても(どこで見ても)傑作である。


2012年5月17日

大と小のビーチについて考える(ジャマイカ /4)

モンテゴベイで泊まっているホテルは、海に沿った細長い敷地に建っている。目の前の浜は、ホテルが所有するプライベートビーチでなかなか立派だ。端から端まで2、300メートルはあるだろう。

その東の端に行ってみた。金網のフェンスが張ってある。その向こうには30メーターほどの小さな浜があり、そこは誰でもが使える場所らしく地元の若者たちが泳ぎに来ている。

仕切りの金網には有刺鉄線がからませてあった。そこまでしなくてもいいのに。

バスでモンテゴ・ベイへ(ジャマイカ /3)

朝食を食べた後、バスでモンテゴベイへ向かう。9:30発のエクスプレスバスだ。ここでも黒人以外の乗客は僕一人。キングストン市内を出た後は一切信号機がないので、文字通り休みなくバスは走る。峠をいくつも越える。

海が見えてきた。キングストンを出て2時間弱ほど走ったところで、バスはいったん休憩で止まった。そこはオチョ・リオスという町。カリブ海に面した港町で、ボブ・マーリーが生まれたころである。その後、バスはカリブ海沿いの幹線道路(A1号線)を西へ。

午後1時過ぎにモンテゴ・ベイのバス停に到着。迎えをホテルに頼むのを忘れてたことをバスの中で思い出したが、こうしたところではそうした心配は無用。バスを降りるや何人かのタクシーの運ちゃんが寄ってきて、タクシーが必要か、俺のに乗っていけ、とうるさく付きまとい、3人ほどの運ちゃんが右に左に手を引っ張る。

一番まともそうな(に見えた)運ちゃんと料金の交渉をする。その間も客を取られた他の運ちゃんが、「そいつはインチキ野郎だから気を付けろ」とか「俺の方が親切だからこっちへ来い」と大声で呼びかけてくる。目の前の運ちゃんは僕と料金交渉をしながら、そうした相手に「やかましい、うせろ」と叫び返す。

2012年5月16日

夕刻のキングストンで(ジャマイカ /2)

朝飯を早めに済ませ、アップタウンを2時間半ほど歩き回る。日が高く昇るにつれかなり暑くなる。湿度も高い。一旦ホテルに戻って少し昼寝をした後にダウンタウンを歩こうと思いホテルに戻ったところ、プールサイドのバーで一杯やったのが悪かった。1時間ほどの昼寝のつもりが、そのまま一眠りしてしまった。

そのバーで一人で飲んでいるところに現れたのは、ベルギー人の国連職員。バーテンダーだけでなく、周りのスタッフたちとも顔なじみの様子で、頻繁に来ている感じである。ホテルの入口近くでクルマを運転して駐車場に入る彼を見かけたから、本当はアルコールはだめなんだろうけど、当たり前のようにビールを何本か注文していた。NGOの活動の支援をしていて、コソボやソマリア、コンゴ、その他数ヵ所危険地域と思われるところでの勤務を経験し、1年半ほど前からキングストンに赴任しているという。

話をしてみるまで、何をやっている男か想像できなかった。ビジネスマンにしてはざらついた感じがあるし、では自由人かというと、着込んでいるジャケットとネクタイはそれには似合わない。仕事の内容を聞き、なんとなく納得。いささかやさぐれた雰囲気である。

目が覚めた後はダウンタウンまで行くのはやめにして、夕食前の軽い散歩に。

公園でジャマイカ人の新婚カップルとその家族が写真を撮っていた。優しそうな彼と逞しい彼女、迫力ある叔母さん。

2012年5月15日

キングストンでもラジオ体操(ジャマイカ /1 )

ジャマイカの首都、キングストンに来た。ニューヨークからのフライトはほぼ満席で、乗客のほとんどが黒人(完全な白人ではないという意味)だった。

夕方の散歩の途中、キングストン市内のEmancipation Park(解放公園)でiPhoneのスピーカーから伴奏を流しながらラジオ体操をする。ラジオ体操をするのは、日本を離れてからの日課になっている。あまり健康に気を遣う方ではない僕の唯一の健康法である。

周りから、子どもたちが寄ってくる。素知らぬふりして、体操を続ける。

彼らは最初、まるで見せ物の猿でも見るかのようにこちらを眺めているが、そのうち何人かが面白がって真似を始める。他の子どもたちはそれを見て大笑いしながら、やがて自分たちも一緒にラジオ体操(の真似ごと)を始める。

ラジオ体操を終えたあと、そいつらの方を向いて拍手をしてやると、彼らも喜んで一緒に拍手をする。

2012年5月14日

ジョブシェアリング

夕食後に天気がよかったのでルーフテラスで風にあたりながら本を読んでいたら、後ろから子どもの声が聞こえてきた。

日本語なので振り返ると、3歳くらいの女の子とその父親の二人だった。切りのいいところで本を閉じ、話しかけた。監査法人につとめているというNさん親子で、少し前から家族でニューヨークに来ているという。仕事ですかと聞いたら、研修が主で1年半の滞在予定だとという。今時、なかなか羨ましい。

その監査法人、ゼミ修了生が昨年まで務めていた会社である。昨年の初め頃だったか、彼が研究室に相談にやってきた。人員整理のためのインセンティブ・パッケージが会社から発表になり、どうしようか悩んでいるという。大手の監査法人だけあってか、その経済的補償は十分なものに思えた。「一年間、世界中を旅して回れるね」と僕が彼に言ったのは、冗談だけではない。それほど魅力的な内容だったのだ。

今日のニューヨーク・タイムズに、"The Human Disaster of Unemployment" という記事を見つけた。それによると、雇用を失った人の中で6ヵ月以上仕事を探して入るにもかかわらず職に就けない人の割合が、米国の就労者全体の4.2%になった(2010年度の統計)。リーマンショック以前の2007年度の数値は、0.8%だったから3年で5倍以上に膨れあがった。4.2%の中には6ヵ月以上経っても就職先が見つからず、職探しを諦めた人の数は入っていない。それを加えると、数値は1.5倍になるという。

経済学者のダニエル・サリバンとティル・フォン・ヴァクターの論文によると、職を失った男性高齢者がその翌年に死亡する確率はそうではない場合に比べて5割から10割高まる。理由の一つとして挙げられているのが自殺率の増加である。最近のあるレポートによると、失業率が10%あがると(つまり8%が8.8%になると)男性の自殺率は1.47%分上がると報告されている。

病気にも関係がある。その原因については詳しく説明がなされていなかったが、失業者がガンで死亡する比率はそうでない人より25%高い。心臓病や精神疾患を病む割合も高くなっている。また本人だけでなく、職を失ったことは家庭全体に影響を及ぼす。男性が職をなくした場合、その夫婦の離婚率は一般的な夫婦に比べて18%高くなっており、女性の場合は13%高くなるとの統計数値がある。子どもの学業達成度も低下する。

記事は、ドイツで実施されているジョブシェアリングの導入を提案していた。企業や国が負担する種々の手当などのコストを考えると、業務の分担の見直しによる労働時間の短縮の方が理にかなっていると主張する。経済的な理由だけではない、長期間にわたり職から離れた場合、職業人としてのスキルを衰えさせるだけでなく、自尊心を失せることになる。

日本でも以前ジョブシェアリングが議論されたことがあったが、じきに耳にしなくなった。職種にもよるが、その適用をもう一度検討してもいいんじゃないだろうか。労働の流動性が低い日本の方が、米国よりも適用しやすいのは間違いない。そもそも、誰だっていつ首を切られるかわからない会社にロイヤルティを持って働くことなど出来るわけがないのだから。

2012年5月13日

INTREPID

ハドソン川の桟橋に航空母艦が停泊しているのに気付いたのは、以前川沿いを自転車で走っていた時だ。その後調べてみると、それは太平洋戦争から冷戦まで用いられていたINTREPIDという名の空母で、現在は博物館になっている。


予約していた朝9時からの潜水艦ガイドツアーへの参加者は、僕一人だけ。ガイドのおじさんからマンツーマンで詳しく話を聞きながら、隅々まで案内してもらう。


潜水艦はGrowlerという名の船で、1958年から1964年まで太平洋を中心にソ連を動きを警戒するために運行していた。核弾頭ミサイルを搭載していた潜水艦としては現存する世界で最も古い艦である。 


最後に見た魚雷発射室。魚雷の隣にベッドが3台。狭い艦内のなかでは最もゆとりのあるベッドスペースで、かつ艦内の他の場所と比べて静かだったので潜水艦員に人気だったとか。

会場の端、桟橋の先っぽに展示されていたBAコンコードと再会。BAに勤務していた時、ロンドン・ヒースロー空港の整備場でキャビン内を見学させてもらって以来である。懐かしい。


先月JFK空港に運ばれてきたスペースシャトルは、今年7月19日からここで展示されることになっている。

会場内に3D(メガネをかけて見る)でフライトのシミュレーションが経験できる装置があったので、9ドル払って中に入ってみた。飛行機が航空母艦を飛び立ち、目的地を爆撃して戻って来るという6分ほどのストーリーだった。最初に「本日のミッション」が発表されるが、なんと硫黄島爆撃である。


2012年5月12日

Columbia University Film Festival

今月4日からマンハッタンの中のいくつかの劇場を行われていたColumbia University Film Festivalが、昨日のFaculty Selects Film Screening & Awards Celemony で幕を閉じた。会場は西94丁目のSimphony Space。この催しは、今年で25周年。

上映された作品は、コロンビア大学芸術学部(School of the Arts)大学院の映画専攻の学生たちが卒業製作でつくった15分程度の短編。昨日は同学部の教員が選んだ7作品が上映された。どれも学生が作ったものとは思えない、なかなかの出来映えだった。

特に印象に残ったのは、Three Light Bulbsというタイトルの中国語の作品。中国人の女子学生が監督した短編である。脚本、製作、撮影監督、編集、出演のすべてが中国人(中国系)である。ロケ地は中国の地方都市。

若いエンジニアの女性が、生まれ故郷の中国の田舎町にソーラーパネルといくつかの機器を手に帰って来る。彼女の父親がいまも住む家には電気が来ていない。彼女と父親は折り合いが良くない。娘は年老いていく父親が気がかりなのだが、父親は彼女が母親が亡くなったときに帰郷しなかったことを許すことができず、今でもそのことで娘をなじる。ほんの数日の滞在の後、娘はいま生活している(だろう)都会へ帰って行く。その日、日が暮れた後、父親が畑仕事から帰ってくると部屋の中に裸電球がぶら下がっていた。娘が持って帰ったソーラーパネルを屋根の上に設置し、バッテリーに電気が溜まるようにしていたのだ。父親は、その明かりを何度も点けては消し、点けては消す。彼女が父親と昔のつながりを取り戻した瞬間である。

短編映画の文法通りに作られたような作品ともいえるが、細部に神経の行き届いた完成度の高いフィルムであり、作り手の高い技量を感じた。

2012年5月9日

国連本部見学

国連本部のガイドツアーに参加。国連ビルを訪ねたのは、今回が初めてだ。

入口で列に並び、建物に入るまで30分ほど待っただろうか。ゲート付近で高校生の団体と一緒になる。とにかく、やかましい。大騒ぎしていて、引率の先生たちが注意しても聞く耳を持っていない。

この連中と一緒のグループでまわるのは厭だなあと思っていたら、ちょうどその日の日本語ツアーが始まるところだったので急遽そちらに参加させてもらった。僕を入れて4名の少人数のグループで、騒がしいアメリカの高校生とは別ルートで見学できた。

2012年5月8日

Blue Man Group

Lafayette Street のAstor Place Theatre (なぜか綴りが英国式だ)にブルーマン・グループを観に行った。日本で見逃したまま、東京公演は3月末日で終了してしまったからだ。http://blueman.jp/dir/news/2011/09/27/2012331/#page

全編にユーモアがと知性が感じられる、誰でもが楽しめるショーである。言葉を排し、身振りと表情、そして楽器(打楽器)を中心に客席とコミュニケートしていく。良く練られた構成と完璧なまでの演出、そして洗練されたパフォーマンスと演奏に驚く。

東京公演は終わってしまったが、現在米国内5カ所とベルリン、そしてノルウェイのクルーズ船上で公演が行われている。出演は3名のブルーマンたちとバック・ミュージシャンが3名。

出演者はすべて「ブルーマン」で、個々の役者は前面には出ない。何もしゃべらない青塗りの3人だから、背丈や体つき、全体の印象でしか判別できない。劇場でもらったプログラム(Playbill)によると、製作・制作・脚本の欄に3名の名前があり、ブルーマンの欄にはその3名を含む11人の名が記されている。

ショーはパッケージとして固まっているので、どこにでも持って行けそうだ。ビジネスモデルとしても面白い。

ショーが始まるまでステージ上のスクリーンに投射されていたメッセージ。

ショーが終わった後、劇場ロビーで彼らの一人と写真を撮らせてもらった。


2012年5月7日

Broadway Festival

日曜日なのに、窓の下が騒がしい。ブラインドを上げて見てみると、ブロードウェイの片側が車両通行禁止になり、様々な屋台が開店の準備をしている。

何だろうと、軽く朝食を済ませて沿道に出てみた。「お祭り」らしく沿道には焼きたてのピザやアイスクリームの店がならび、衣料品やアクセサリーをはじめ多種多様な屋台が軒を連ねていた。会場は86丁目から96丁目まで。今年で24回目になる Broadway Festival という催しらしい。

Pig Roast と書かれた巨大なロースター。煙突から煙が上っている。中は子豚の丸焼きだろうか。

2012年5月5日

映画 Marley

リンカーンセンター内のエレノア・ブーニン・モンロー劇場に映画「Marley」を観に行く。レゲエ・ミュージシャンだったボブ・マーリーについてのドキュメンタリーだ。監督は、YouTubeと協力して作った実験的映画「Life in a Day」の監督として話題になったKevin Macdonald である。http://www.youtube.com/user/lifeinaday

ボブ・マーリーが亡くなって30年以上がたつ。今、映画の中のマーリーを振り返ると何が見えてくるだろう。そんなことを考えながら劇場へ向かった。
ところで、この映画では彼の生い立ちが初っぱなから何度も繰り返される。僕はこの映画を観るまで知らなかったが、彼の父親は英国の海軍大尉で、母親はジャマイカ人である。つまり、彼には白人と黒人の血が半分ずつ。オバマ米国大統領と同じだ。でもどちらも白人とは呼ばれず、黒人と呼ばれる。

2012年5月2日

Incredible Shrinking Country 日本

ニューヨーク・タイムズ日曜版に Incredible Shrinking Country というタイトルのコラムが掲載されていた。http://www.nytimes.com/2012/04/29/opinion/sunday/douthat-incredible-shrinking-country.html

文中では他の論文からの引用で、日本ではパラサイトシングルが何百万人いるとか、若者が引きこもっているとか、赤ん坊型ロボットを研究者が本気で開発しているとか、結婚披露宴には数合わせのためにレンタルされた親戚が出席するとか、外国メディアがよくやるような興味本位の事例が紹介されている。

合計特殊出生率が2.07を下回ると国の人口が低下するとされているから、日本は確かにその路線に乗っている。しかし、人口が減ることは悪いことなのか。それが問題だとすると、誰の問題なのか。また、出生率の低下とよくペアで語られる平均年齢の高齢化もマズイことなのか。

一つ例を挙げると、ロシアの出生率は日本とそう大差はない。だが、ロシア男性の平均寿命は60歳を下回っている一方、日本男性は80歳である。日本はロシアに比べて明らかに高齢化社会である。だが、人が長生きできる国の方が、早死にする国よりいいと思うが。高齢化社会、結構ではないのか。

数日前、香港在住の友人が日本経団連がまとめたレポートを送ってくれた。http://www.21ppi.org/pdf/thesis/120416.pdf 
そもそも40年先についての予測値の確からしさは疑問だけど、それは置いておこう。

彼らにとっての問題は人口の減少である。人口低下は市場の縮小、労働人口の低下を意味するからだ。明示的に書かれているわけではないが、財界の発想がそうであることは間違いないだろう。

このレポートに名前を連ねている大企業のトップ経営者たちがどう考えているかは知らないが、もしここに書かれている実態と予測内容に関して問題意識をもっているのなら、彼らには経営者としてやってもらいたいことがある。

育児休業を取りたくても種々の理由で取れない社員が、きちんと制度を利用できるようにすること。パート社員の雇用の不安定性の改善など。昇進などに関しての 男女の差別も多くの企業で厳然と存在している。少なくともこれらは、経営者が変えようと思えば、変えられるはずである。